TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

うつわ かたち

 

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みなさま、大変ご無沙汰をしておりました。

今年春より二冊の本づくりがはじまり、撮影や取材、言葉を書く仕事をしていました。一冊めは『うつわ かたち』(ADP刊)、二冊めは『うつわを愛する』河出書房新社刊)10月発売です。

 

国立新美術館 SFTギャラリーにて、「うつわ かたち展」が初日を迎えました。本ギャラリーではこれまで、「TABERU」「うつわ、ロマンティーク展」などの展覧会をディレクションさせていただいてきました。

 

うつわ かたち展は、

碗、茶器、片口、皿、鉢。

そっと、手に包み、感じるかたち。

心に残る美しさのあるかたち。

やわらかな布で包まれる空間で、

うつわと向き合い、うつわを感じる。

22人の作り手のうつわをご覧いただく展覧会です。

 

展覧会の様子をこの場でもご紹介しながら、本展の企画についてお伝えしようと思います。

 

本展覧会において、うつわという言葉のひらかなの響きがとても重要でした。

うつわというやわらかな響きは、心のなかにそっと触れる母性を感じさせる言葉です。そして、かたちという言葉。器形(きけい)では見落としてしまう何ものかをこのタイトル〈うつわ かたち〉に込めました。さらに、重要なのは、このふたつの言葉の間にある〈 〉です。これは空白の間であり、呼吸の間でもあります。

 

今回の展覧会では、空間設計コンセプトを建築家の北原暁彦さんが手がけてくださいました。什器は和紙作家のハタノワタルさんの作です。

展示コンセプトは、うつわをやわらかく包む。うつわのかたちがそっと浮かび上がるようなイメージで、日本で古くから伝わる蚊帳を作り続けている丸山繊維産業株式会社のご協力を頂き、やわらかな薄布で包まれた優しく、そして静けさのある展示空間を作りました。

和紙を設えた什器とシンプルな照明で構成された空間は、器とゆっくり感じていただく空間です。地階にあるギャラリーに向けて、一階から降りてくると、布空間外部から展示の様子がうっすらと透けて見えます。その見え方は見る角度によって刻々と変化します。見え隠れする器のかたちをご覧いただけるでしょう。

 

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布で包んでいるものは展示空間ですが、見る人の心に作用する〈 〉の空間でもあります。この〈 〉から響いてくるものは、心を静かにしなくては感じられない何かかもしれません。

ふだん、うつわは使うもので、使ってこそうつわである、とお伝えしてきました。しかしながら、ただ使うものではないことは、この日記を読んでくださっている方は気がついていらっしゃることでしょう。

 

うつわは心で感じるものであること。

 

設計の北原さんとハタノワタルさんが実現したこの空間は、まさに、この言葉を立体的に表現してくださったもの、と思います。感謝しています。

ぜひ、布のなかに入り、優しく包まれる展示空間のなかで、器を手に取ってゆっくりご覧いただければと思います。

 

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もうひとつ、今回の展覧会のコンセプトのひとつに、慎みという言葉があります。

いま、何かと大きな声で主張することが多い時代において、慎みという言葉には新鮮に感じられるのではないでしょうか。粗末にあつかってはならない大切なことが含まれているように思います。手でやわらかく器を包むときに感じる〈つつむ〉という言葉と〈つつしみ〉というふたつの言葉が、重なり心に響いてきます。

つつしみとつつむ。書籍『うつわ かたち』においても、このふたつの言葉が、うつわというものを表現するうえで、大切な言葉となりました。

 

この本の構成はシンプルなものです。碗、皿、鉢、茶器、片口・・・それぞれの扉に短い言葉を書きました。

 

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碗は掌で包むかたち。

慈しみ、いただくかたちを基本とする。

慎ましく繊細な、感謝をあらわす

美しいかたち。

                       『うつわ かたち』碗より

 

 

それらの言葉が風のようにやわらかさを包み、読者の方に届いてくれたらと思います。

うつわの写真は手触りのある紙に写され、控えめな姿をしています。仄かな空気感のなかで、気配や余韻が残るような、印象的な表出をした頁もあります。薄いヴェールのなかでそっと存在するような、〈うつわのかたち〉を見つけていただけるかもしれません。

 

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書籍『うつわ かたち』祥見知生編著はADP(Art Design Publishing)より刊行されます。一般書店より早く、7月4日より美術館にて先行発売となります。青木亮さん、村木雄児さん、小野哲平さん、村田森さん、横山拓也さん、村上躍さんなど作家28人のうつわ100点を紹介、英日バイリンガルのテキストには、村木雄児さん、村上躍さん、尾形アツシさんのインタビューが掲載されます。生前厳しく器を作られた青木亮さんの器は薪窯焼成された作品を掲載しています。

出版元のADPは、これまで石本泰博氏、葛西薫氏、杉本博司氏などの著作をはじめ、数多くのデザイン・建築分野の書籍を世に送り出しています。

http://ad-publish.com/kikan.html 

同出版社において現代作家もののうつわの本は初めて刊行となります。

佇まい豊かに、奥行きがあり、静かな一冊になりました。

作家別の掲載作品のインデックスと作家紹介が別刷で付いています。

うつわは人が生きていくために生まれ、本来、気高く、慎みに満ち、美しいかたちをしています。〈うつわ〉を感じる一冊となってくれたらと願います。

どうぞお手に取ってご覧ください。

 

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『うつわ かたち

UTSUWA KATACHI-JAPANESE CERAMICS AND FORMS』

 

誘うかたち、余韻のあるかたち、掌をあらわすかたち、

碗、皿、鉢、茶器、片口、徳利など、

現代作家28人のうつわ 100点を紹介。

 

青木亮  阿南維也  荒賀文成  石田誠  尾形アツシ 小野哲平

小山乃文彦 亀田大介 寒川義雄 木曽志真雄 郡司庸久 谷口晃啓

田谷直子 鶴見宗次 寺田鉄平 八田亨 巳亦敬一 村上躍 村木雄児

村田森 森岡成好 森岡由利子 矢尾板克則 安永正臣 横山拓也

吉岡萬理 吉田崇昭 吉田直嗣   

 

 

著者:祥見知生

撮影:西部裕介 ブックデザイン:橋詰冬樹

プリンティングディレクション :熊倉桂三 ( 株式会社山田写真製版所 )

テキスト:バイリンガル 日本語・英語 別冊差込:掲載作家紹介

サイズ:273mm×215mm / 160頁:作品頁 フルカラー/並製本、ジャケット装

定価:本体3,500円+税 ISBN978-4-903348-48-3 C0072

発行:株式会社ADP | Art Design Publishing http:// www.ad-publish.com

 

 

「うつわ かたち展」

会場 国立新美術館地階 東京港区六本木7-22-2

会期 2016年6月29日(水)〜8月29日(月)

10時〜18時 (金曜〜20時) 火曜定休

 

出展作家  (敬称略)

荒賀文成 石田誠   尾形アツシ 小野哲平 

 亀田大介 寒川義雄 木曽志真雄 谷口晃啓 寺田鉄平 八田亨

光藤佐 巳亦敬一 村上躍  村木雄児 森岡成好 森岡由利子

萌窯(竹内靖 竹内智恵) 吉岡萬理 吉田崇昭 吉田直嗣 安永正臣 

 

空間設計 北原暁彦(コムレール一級建築士事務所)

什器 ハタノワタル

展示協力 丸山繊維産業株式会社 株式会社丸東

写真 西部裕介

タイトルデザイン 橋詰冬樹

 

ディレクション 祥見知生(うつわ祥見)

 

 

 

見つめ、見つめられる、壺を。

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何をしていても、心のなかで、いつ何が起こるのかわからない時代に生きていることを実感いたします。
 
こんなとき、小さな人間の、無力さを感じずにはいられません。
 
わたしたちの祖先も、いつもこのことに怯え、憂い、悲しみ、一方で些細な日常のなかに喜びを感じ、大いに笑い、慰められ、絶え間なく続く時間を生きてきたのかもしれません。
 
いまできることが、いかなるときも大事ですね。
限りのある時を、いかに生きていくのかが、問われています。
 
うつわ祥見onariNEAR 尾形アツシ展を行っています。
 
初日、尾形さんが在廊されました。
 
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店内奥の棚によく焼かれた壺が目に入ります。尾形さんの有する薪窯焼成された力強く、複雑で豊かな表情があり、眺めるたびに見どころを発見できる美しい壺です。
 
今日は壺の話を書きたいと思います。
 
壺の起源は古く、小山富士夫の『壺』という本に、
古今東西、世界各地に伝わる素晴らしい壺が紹介されています。
 
わたしは時々、この古い本を手にして、
これらの壺の世界に見入ります。
 
作られた時代の背景や、作り手のおかれた状況や、なにもかもがつまっている壺のことを、タイムカプセルのようなものだと思うのです。
壺はどこか、慄然として、何かの力をもって出現した「モノ」のかたちを有しております。言いようのない説得力があり、見る者を魅了します。
 
悲しみや怒り。不安。自然への畏怖。
それらを沈める力をもっているような、力を、壺といううつわに感じるのはなぜなのでしょう。
 
そのあたりはもっと、言葉を尽くして、語りたいところです。

壺を生活のなかに取り入れる。
その壺は力強く、わたしの生きることを見つめるもの。
壺を見ているようで、
人は、壺に投影される自分の生命を見ているのかもしれません。
壺がわたしたちを見ている。
そんな感覚を覚える壺。
そんな作品に、人生のなかで、出合えることは、幸せなことだと思うのです。
 
壺は人の生活のなかで、どうしても必要ということではありません。
 しかし、この、行き先のわからない現代だからこそ、壺という存在を身近に置きたいと。
 
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薪窯で焼かれた土の壺は、無言ながら多くを語っています。
堂々として、ゆるぎなく、美しく存在しています。
 
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ぜひ、鎌倉にお出かけになり、
尾形アツシさんの壺を、じっさいに間近に感じてください。
 
わたしたちの生活に、きっと、
そういうものが必要なのだと、
いま、そう感じています。
 
またこのことを書きます。
 
今日もお元気で。
わたしも仕事をいたします。
 
 
 
 
 
 
 
 

尾形アツシさんの焼きもの

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昨夜、熊本で大きな地震がおきました。

 
震度7の文字に目を疑いました。
驚愕し、津波がないことがニュースに流れて安堵するも
現地では震度6級の巨大な余震が続く夜となりました。
 
被害に遭われた皆様に慎んでお見舞いを申し上げます。
 
本当は昨日書こうと思っていた日記の言葉をいま都内に向かう電車のなかで書いています。
 
地震や災害が起こるたびに、日々の無事の有り難さが身にしみます。
なんでもない毎日の過ぎていく時間の大切さは、決して誰もが否定できないことでしょう。
 
昨日、鎌倉に、明日初日を迎える尾形アツシさんの薪窯焼成された壺や片口などが先発便で届きました。本日いまごろはonariNEAR に後発便の器が届き始めていることでしょう。
 
昨日、私は、一足先に、圧倒的な迫力のある作品たちを目の前にして、大変興奮いたしました。
 
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やきものとは、その言葉の通り、焼きものです。土をかたちづくり、火で焼成する。
ほんらい、生まれたものは、とても強いものです。
それは、強く堅く焼き締まり、そして、圧倒的な存在感を放ちます。
と同時に、何か目に見えないものを包むやわらかさももっている。
 
やきものの本質に迫る仕事にふれると、
ああ、本当に、このことを生涯伝えたい、とわたしは思います。
 
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やきものは焼きもの。器はやきもの。
人の歴史のなかで、知恵として生まれた、やきものの美しさ。
 
堂々として、尊厳にみち、ただそこにあるだけで心満たされるもの。
 
心満たされるとは、見る者に、よく生きていこうと決心させ、生きることを励まし、支えるものです。美しいいのちの連鎖をつなぐものです。
 
ぜひ、この機会に、強くやわらかく、美しい土の仕事を手にとってご覧ください。
 
尾形アツシ展は4月16日(土)〜4月25日(月)
 
会期中4月19日休み。
 
明日の初日、16日(土)に奈良から尾形さんが在廊されます。
 
お出かけください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

定番について考えたこと


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こんにちは。3月も半ばですね。鎌倉は鶴岡八幡宮の参道の段葛の囲いもようやくとれて、景観が戻ってきました。まだ寒さに震えるような日もありますが、確実に春はやってきていますね。

さて、久しぶりの日記では、さいきん、

定番という言葉を聞くことが多くなったので、

定番というものを考えてみたことを書いてみたいと思います。

 

去年、ある雑誌で、定番について何か書いてほしい、と依頼を受けました。

どんなことでもいいので6〜8ページの構成でお願いします、ということでしたので、

丁度、その雑誌の発売時期が東京・青山のCIBONEの「小野哲平展」と重なっていたこともあり、小野哲平さんが何故作るのか、という問いを展開する構成のなかで、わたしなりの定番とは何かの定義を考えていく文章を書きました。

 

定番は安定して供給のできるもの、という感覚なのかもしれないと思いますが、

わたしが考える定番は、ちょっとだけ違います。

 

つまりは、この「定番」と言われる器は、本来、作家が目指したものから出発し、そのことが色濃く反映され、そして、結果、よいものが生まれ、使い手の皆様に永く愛され続けているものなのでは、ということなのです。

 

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小野哲平さんの鉄化粧の器は、真似のできないオリジナルの手法で作り続けているシリーズであり、めし碗、湯のみ、そしてそば猪口。手に馴染み、使い続けていくことで、さらに土肌が育ち、親しみ愛される器です。

そのほかにも、村木さんの粉引、尾形アツシさんのヒビ粉引、吉岡萬理さんの鉄彩など、作り続けていらっしゃる作風がありますね。

 

わたしのなかで、定番という言葉を思い描いたとき、

真っ先に浮かぶのは、京都で作陶されている谷口晃啓さんの白磁四方皿です。

 

谷口さんの白磁四方皿は、白磁といえどもあたたかな風合いが愛され続けて、うつわ祥見がオープン以来、変わらずお伝えしているロングセラーです。

 

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この器の特長は、ゆるやかな立ち上がりと、可憐な花を思わせる清楚な佇まい。使いやすく、美しい四角皿です。大きさ違いでコーディネートすることができ、一度お求めになられた方のリピートが多く、同じものを提供することができる器です。谷口さんは当時もいまも「この器を作るたびに、よいものをつくろう」と思い、毎日、手を動かしているとおっしゃいます。作り続けていく気持ちを持続し、クオリティを落とさず、使う方へ誠実であろうとされています。

 

ここまで書いて、

ふと、『うつわ日和。』を取り出して読み返してみると、

10年以上前に書いた本に谷口さんについて書かせて頂いた文章がありました。

この本から、一部、ご紹介させてください。

 

「一客つくると、その一客よりも、少しでもよいものを」と思いをこめて、ロクロに向かう。その一途なひたむきさが、器のよさとなってあらわれている。揺らぎのある美しいかたちの器は、人を包むやさしさとなって使う人のこころを穏やかにする。

                      『うつわ日和。』 2005年ラトルズ刊

 

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実は、驚いたのですが、去年の暮れに、久しぶりにお会いする約束のために電話でお話した谷口さんは同じことを口にされていました。

 

「少しでもよいものを次は、次はと、一枚一枚、作っている」と。

 

その言葉の響きから、上辺のフレーズではないことはわかりました。

変わらずに谷口さんがおっしゃるこの言葉に、実は私は非常に驚きましたが、

その向き合い方が、変わらずに目の前にある器そのものにあらわれている・・そのことを実感させられました。

 

繰り返し繰り返し、同じものを作り続けることは、

作家にとって、容易なことではありません。

心健やかに、同じ気持ちであり続けることで、

谷口さんの白磁の四方皿は、同じクオリティを保っているのですね。

 

作り続け、そしてそれを受け入れられ、また求められ・・・また作り、そして手渡していくことが、定番と言われるものの存在意義なのでしょう。

 

永く愛される器をこれからも大切に、伝え続けていきたいと思うのです。

 

うつわ祥見のWEBSHOPでは、常設展示の器とリンクした器をご覧いただけます。

鎌倉から器をお届けします。どうぞお時間のある時にゆっくりご覧ください。

 

http://utsuwa-shoken.shop-pro.jp

 

 

 

 

FUROSHIKI  初めて、新潟で器の展覧会を行います。

 

 

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FUROSHIKI という器の会を昨年から始めました。

奇妙なネーミングと自分でも思いますが、

風呂敷、とても好きなので、よく使っています。

包み、そして運ぶ。自在に。

旅先の荷物のなかには、いつも風呂敷があり、衣服を包みます。

この包むという行為がゆったりとした時間を運んできてくれる。

とても自由で、かろやか。

トートバックもよいけれど、風呂敷もいいよ、と

なんといっても機能的で優れている、と肩を持ちたい。

 

そして、大切なものを包むように、器を伝えたい、と思いました。

 

器を伝える仕事をして、多くの場所で、器の展覧会を行ってきました。

札幌、東川、那須、取手、京都、大阪、明石、富山、輪島、倉敷、高松、高知、石見銀山、福岡、諫早・・・器の展覧会を行った場所を数えると、ずいぶん色々な場所で器の展覧会をさせていただいています。

あのときのあの器たち、元気にしているだろうか、とふと思い出すこともあります。

 

大きな規模の展覧会はすぐに出来なくても、風呂敷に包む気持ちで器を伝えることはできるかもしれない、そう考えて始めたのがFUROSHIKIです。

あなたの町にこんにちは、器をどうぞ手に包んでください。

みたいなことができたら、と。

 

昨年、FUROSHIKIは、大阪、長崎県諫早茨城県取手で開催することができました。心から器を大事にしてくださる方が招いてくださった会です。どの会場でも話会にご参加の皆さんを中心に会期中何度も足を運んでくださる方が多く、たくさんの器を手渡すことができました。感謝しています。

そして今年はどんなところにお邪魔できるのかな、と考えていましたら、

新潟に住まわれている器を愛する方からご連絡をいただきました。

 

ぜひ、FUROSHIKIをわが新潟へ、と。

 

新潟の素敵なお店の方にお話をしてくださり、ご縁を結んでくださったのです。

そして、今回の初めての新潟での器の展覧会がstore roomさんで実現することになりました。

なんて素晴らしいことでしょう。なんて嬉しいのでしょう。

その方の顔を思い浮かべ、張り切ってご紹介する器を選びましたので、

風呂敷は思うよりもずっと大きなものになりました。

250点を超える器たちが本日新潟に到着しています。

たぶん、圧倒的。

 

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初日は2月21日日曜日です。

会場はとても素敵なセレクトショップです。

http://lifewares-web.com

 

新潟のみなさま、ぜひ、この機会に、器に会いにいらしてください。

 

SHOKENTOMOO POP UP STORE FUROSHIKI

2016年2月21日(日)〜2月28日(日)

新潟県新潟市中央区上大川前通7番町1237-1 Tel:025-226-8220

store room   

11:00〜19:00

 

初日、器の話会が行われます。

日時  2月21日 13:00~14:30(予約制)  参加費 1500円  

お電話又はメールにてお問い合わせください。

Tel:025-226-8220 / post@lifewares-web.com

 

椅子とタイプライター

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若木信吾さんの写真展「表面」が代官山のヒルサイドフォーラムで開催中です。
ポートレートの撮影が多い若木さんが、めずらしく「ものと向き合った」写真とのこと。

初日にお伺いして、拝見してきました。
小野哲平さんの作品集に掲載された写真も展示されています。


今回の写真展のテーマが決まったのは、作品集『TEPPEI ONO』で
高知の小野哲平さんの工房に行って感じたことがあったからだそうです。

入ってすぐの展示室に、
哲平さんが長い時間、ロクロの前で座っている椅子の写真の隣に、
レイモンド・カーヴァーのタイプライター。

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あの古びた椅子の姿を写真にされたのは若木さんが初めてです。あの椅子のクッション、時間がそこに、見事にあります。まるで人を写していらっしゃるように。

どこにでもある何気ない風景、モノを切り取っていらっしゃる。

なんという、さり気ない、距離感を作られるのだろう、と思います。
言葉にするのがとても難しいのです、それをうまく言おうとしても陳腐になります。

「表面」というタイトルにも、この展示を見て、唸りました。
写真の配置も、しみじみ、心地よかったです。

短い時間でしたが、広々として空間を自在にいったりきたりして、写真を堪能しました。
満ち足りて、帰りは軽やかな気持ちになりました。
幸せなことです。そう素直に思いました。

この気持ちよさ、頭で考えるのではなく、身体が感じたことなのでしょう。


実際に訪れなくてはわからないこと、やっぱり大きいです。
そのことが、わたしには嬉しかったことのひとつです。

入場無料です。見ごたえがあります。

今週末21日は若木さんのトークショーもあるようです。

2/28まで。

器好きの皆様にもぜひ。

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若木信吾写真展「表面」

会期:2016年2月10日(水)~2月28日(日)

日時:11:00~20:00(最終入場は閉館の30分前まで/最終日は17:00閉館)

会場:代官山ヒルサイドテラス ヒルサイドフォーラム


 

 


 

 


毎日使うものだから、誠実なものを。  

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阿南維也さんの鎬白磁皿は一目見て精巧さに唸った仕事でした。眺めているうちに清々しい気持ちになって使ってみたくなったのです。道具で均等に線の文様をつけていく鎬(しのぎ)は器に線を刻む線刻の技法大分県で作陶している阿南さんの器にはどれも実直な美しさがあり、好感がもてるのです。透明な釉薬の下に見える一本一本の線彫りのリズムに人柄を感じられます。この作り手はどんな人なのだろう。器を見て作り手を想像することは楽しいものです。

 

さて、阿南さんは子供のころ、図工と体育が得意な子だったそうです。なるほど。この文様の入り方は細かな作業が好きな人の手によるものだと感じていたので合点がいきました。

 

数年前のこと、鎌倉を訪ねてくださり、初めてお目にかかったとき、まっすぐに目を見てわたしの話を聞いておられました。きっと緊張なさっていたから余裕がなかったのかもしれませんが、そのさまには嘘がなく信用できる方だと思った記憶があります。

 

器は人。そう信じているので、ギャラリーで伝えたり展覧会にお声がけしたり、お付き合いさせていただくときには、その人の人となりを知ることがとても大切です。

阿南さんはいつも礼儀正しく嫌みがありません。ユーモアがあって話していると楽しく、時間を忘れるような親しさがあるので、友人にこういう人がいてくれたらいいなぁと思うほど。

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同様に、阿南さんの器も付き合っていて無理がなく、疲れることがないのです。料理でも盛るものを選ばないので、どんな場面にも登場する。碗のかたち、小皿の釉薬の美しさ、品が良く機能的なふたもの。どれもが潔く、まことに清々しい。まさに日々のための器です。

 

それにしても、阿南さんの人柄が滲み出る誠実な器は、わたしが遅ればせながら彼の仕事を知るようになったとほぼ時を同じくして、様々な場所でお見かけすることが多くなりました。やっぱり器は人なのでしょう。彼の誠実さはどんどんこれから世の中に広まっていくのだろう、と思います。そういう作り手に出会うことができたことに感謝しています。

 

うつわ祥見の常設展示では2月、阿南維也さんを特集いたします。遠くて行けないよ、という方には、WEBSHOPをご覧ください。さらに、東京青山のCIBONEでは、青白磁を中心に、阿南さんの美しい器に出会えます。

 

うつわ祥見 web shop

 

毎日手にすることで気持ちよさが持続する不思議な力を感じることがあります。それが日々の器の誠実さ、integrityということなのでしょう。

器のように、毎日使うものだから、誠実なものを。手にしたときに伝わる何かに耳を澄ませば、囚われていたことに心を騒がすことなく、日々が変わるかもしれません。