TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

器バカ


今日は寒さが戻り、体の芯が冷え込むようなお天気となりました。

家族も、久々に風邪をひいてしまったみたい。

ここのところ、気温差が激しいですね。これも春ならではでしょうか。


うつわ祥見のホームページがリニューアルして、「美しいですね」や「見やすいですよ」とか、いろいろご意見をいただいています。

ありがとうございます。

できるだけ穏やかで「フツウ」なことを、お伝えするホームページを目指していきます。


器について というページについては、前回の言葉を少しだけ変えたものを掲載していますが、今後、写真も多く入れて、言葉も増やしていきたいと考えています。


わたしの最近の仕事をみていると、「いったい何者?」というイメージがあるようですが、

自分ではやっぱり、器を伝える人なんだと、最近とくに思います。


器が愛おしくてたまらない、ある方の言葉を借りればリッパな「器バカ」なのかもしれません。


この3月 里文出版から出版された「目の眼」別冊『Mitate』のなかで、『日々の器』が紹介されています。

記事を書いてくださった編集者の方が、最後の一行に、こんなふうに表現してくださった・・・

「祥見さんは、『うつわびと』ということばをよく使われているが、一番の『うつわびと』は祥見さん自身ではなかったか」

この文章には、本当に驚きました。


わたしは、これまで 尊厳をこめて 器を厳しく作る人を「うつわびと」と表現してきました。

けれど、自分自身について「うつわびと」というふうに考えたことはありませんでしたし、ましてや、ほかの誰かから「うつわびと」と呼んでいただくことがあるなんて想像もしていなかったのです。


この一行は、わたしにとって、何よりも嬉しい「勲章」のような言葉です。

驚きましたけれど。でも、やっぱり嬉しいです。


「ああ、わたしは『うつわびと』だった。」

そう思えたのですから、人って愉快ですよね。単純です。眼からうろこってこんなときに使って間違っていないでしょうか・・・

でも、その勲章の言葉をいただいて、気を引き締めたことは事実なのです。

器という、名もないものに、体を使い命を削る人間がいる。彼ら、うつわびとの仕事を、これからも強い信念をもって伝えていこうと思います。

わたし自身がいつか正真正銘の「器バカ」になることを願って。いやいや、本当のことを言えば、もう充分「器バカ」だと思っているんですけど・・。その「深度」を深くして、もっと重症な「器バカ」に・・。日々、これ「学び」です。 最近は、わたしのことを「器の過激派」と呼ぶ人もいます(笑)。器の話になったら、相手が誰だろうと、話が止まらないもので。 


器を愛する人間として、器とは何か、器のほんとうを知りたいと願います。

またくわしいことが決まったらお知らせしますが、新しい器の本を書くことになりそうです。

不器用ながらも より厳しく、器と向き合う本になると思います。


うつわ祥見の新しい空間 utsuwa-shoken onari NEAR 5月1日オープンします。

「よい器は、ここに来れば いつでも会える」 

そんなお店になりますように。