定番について考えたこと
こんにちは。3月も半ばですね。鎌倉は鶴岡八幡宮の参道の段葛の囲いもようやくとれて、景観が戻ってきました。まだ寒さに震えるような日もありますが、確実に春はやってきていますね。
さて、久しぶりの日記では、さいきん、
定番という言葉を聞くことが多くなったので、
定番というものを考えてみたことを書いてみたいと思います。
去年、ある雑誌で、定番について何か書いてほしい、と依頼を受けました。
どんなことでもいいので6〜8ページの構成でお願いします、ということでしたので、
丁度、その雑誌の発売時期が東京・青山のCIBONEの「小野哲平展」と重なっていたこともあり、小野哲平さんが何故作るのか、という問いを展開する構成のなかで、わたしなりの定番とは何かの定義を考えていく文章を書きました。
定番は安定して供給のできるもの、という感覚なのかもしれないと思いますが、
わたしが考える定番は、ちょっとだけ違います。
つまりは、この「定番」と言われる器は、本来、作家が目指したものから出発し、そのことが色濃く反映され、そして、結果、よいものが生まれ、使い手の皆様に永く愛され続けているものなのでは、ということなのです。
小野哲平さんの鉄化粧の器は、真似のできないオリジナルの手法で作り続けているシリーズであり、めし碗、湯のみ、そしてそば猪口。手に馴染み、使い続けていくことで、さらに土肌が育ち、親しみ愛される器です。
そのほかにも、村木さんの粉引、尾形アツシさんのヒビ粉引、吉岡萬理さんの鉄彩など、作り続けていらっしゃる作風がありますね。
わたしのなかで、定番という言葉を思い描いたとき、
真っ先に浮かぶのは、京都で作陶されている谷口晃啓さんの白磁四方皿です。
谷口さんの白磁四方皿は、白磁といえどもあたたかな風合いが愛され続けて、うつわ祥見がオープン以来、変わらずお伝えしているロングセラーです。
この器の特長は、ゆるやかな立ち上がりと、可憐な花を思わせる清楚な佇まい。使いやすく、美しい四角皿です。大きさ違いでコーディネートすることができ、一度お求めになられた方のリピートが多く、同じものを提供することができる器です。谷口さんは当時もいまも「この器を作るたびに、よいものをつくろう」と思い、毎日、手を動かしているとおっしゃいます。作り続けていく気持ちを持続し、クオリティを落とさず、使う方へ誠実であろうとされています。
ここまで書いて、
ふと、『うつわ日和。』を取り出して読み返してみると、
10年以上前に書いた本に谷口さんについて書かせて頂いた文章がありました。
この本から、一部、ご紹介させてください。
「一客つくると、その一客よりも、少しでもよいものを」と思いをこめて、ロクロに向かう。その一途なひたむきさが、器のよさとなってあらわれている。揺らぎのある美しいかたちの器は、人を包むやさしさとなって使う人のこころを穏やかにする。
『うつわ日和。』 2005年ラトルズ刊
実は、驚いたのですが、去年の暮れに、久しぶりにお会いする約束のために電話でお話した谷口さんは同じことを口にされていました。
「少しでもよいものを次は、次はと、一枚一枚、作っている」と。
その言葉の響きから、上辺のフレーズではないことはわかりました。
変わらずに谷口さんがおっしゃるこの言葉に、実は私は非常に驚きましたが、
その向き合い方が、変わらずに目の前にある器そのものにあらわれている・・そのことを実感させられました。
繰り返し繰り返し、同じものを作り続けることは、
作家にとって、容易なことではありません。
心健やかに、同じ気持ちであり続けることで、
谷口さんの白磁の四方皿は、同じクオリティを保っているのですね。
作り続け、そしてそれを受け入れられ、また求められ・・・また作り、そして手渡していくことが、定番と言われるものの存在意義なのでしょう。
永く愛される器をこれからも大切に、伝え続けていきたいと思うのです。
うつわ祥見のWEBSHOPでは、常設展示の器とリンクした器をご覧いただけます。
鎌倉から器をお届けします。どうぞお時間のある時にゆっくりご覧ください。
http://utsuwa-shoken.shop-pro.jp