大阪でのお話会へ
なぜこんなにも時間が経つのは早いのでしょうね。
5月ももう半ばです。
先週木曜日から始まっている「吉田直嗣 陶展」。「これまでの質感とは違いますね」とおっしゃる方、「何を盛っても映える器で、大好きなんです」という方、吉田さんの器をすでに使っている方が「使ってとてもよいので」と足を運んでいただいています。
吉田さんの器にはハッとさせられることも多いのですけれど、わたしが彼の器に感じるのは、器としての品性があるということです。
吉田さんがこれまで見たことや感じたことが、器という目に見えるものになって現れて、それが器づくりの基礎となっている。
彼なりの物差しが、しっかりと器から伝わってくる、ということでしょうか。
吉田直嗣 陶展は、5月19日まで行っています。
どうぞお出かけください。
昨日、大阪の阪急百貨店での「美しいもの展」会場で「DVDブックうつわびと小野哲平 特別編」の上映会・早川ユミさんとのお話会へ行ってきました。
大阪伊丹空港でユミさんと待ち合わせ、会場に向かいました。
この展覧会は漆のお仕事をしている赤木明登さんの著書「美しいもの」をテーマに、この本に登場する作り手の方の仕事を紹介するものです。
この本は季刊「住む。」に連載された「美しいものってなんだろう」をまとめたもの。
連載第一回は小野哲平さん早川ユミさんです。
わたしは昨日、その記事が掲載された当時からずっと大事に持っている「住む。」創刊2号(2002年)を持って会場入りしました。
お話会でも触れたのですが、この記事の中に紹介されて哲平さんのことばに、当時のわたしはぐっときたのです。
「さわれたり
みれたり
するものじゃなくて
かんじているもの
それはなにかといえば
ボクだったり
あなただったり
することだけど
それがいちばんだいじ」
いま、DVDブックを作り終えて、わたしが何よりも実感していることが、この「かんじるもの」ということ、つまり、自分のからだとこころ=身体性(からだ感)ということです。
大量消費の波が押し寄せ、情報の洪水の流れにあって、自分のからだとこころという「個」の尊さ、かけがえのなさ。その「自分」だったり「あなた」自身が「感じる」こと、それが「いちばんだいじ」なのだと、当時の哲平さんは、このひらかなのわずかな言葉で言いあてていたのだ、と改めて思います。
お話会を無事終えて、赤木さん内田鋼一さん、安藤雅信さんと一杯だけビールで乾杯し、わたしとユミさんはまたそれぞれの飛行機に飛び乗って帰ってきました。
平日だというのに、会場にいらして お話会をゆっくり聞いてくださったみなさま、ありがとうございます。皆さんのこころには「何か」残るものはあったでしょうか。