TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

 ふただびのこと

大雨の週末から月曜日も、梅雨らしい湿度のある曇り空が続いています。

週末もずっと家にこもって 原稿を書いています。

そういえば・・・と思い出すされるのが、2005年の出版の『うつわ日和。』 このときは、原稿のピークは、一年の終り、暮れの忙しい時期でした。

年が明けて、最後の第三章を書いたのです。お正月は、親戚の家に家族でお邪魔したのですが、わたしだけ泊まらずに家に戻り、ひとりで三が日のうちの何日かを過ごしたことを思い出します。

あのときは、途中で誰に向かって書いたらよいのか迷うことがあり、実を言うと、ある一人の女性に向かって文章を書いたのです。

わたしが男性であれば、その女性は恋人のようでありますが、恋をするというよりも同じものを見つめてる理解者という存在で、ほんとうに器を深く理解している方。大変聡明な女性です。

ほかの誰がわかってくれなくても、彼女ならば、この文章を理解してくれる。そのことを信じて、言葉を綴りました。

誰にもおもねることなく、真摯に器と、言葉と向き合うことができたのは、器そのものの懐の深さだと、いまは感じています。

それにしても、うつわと暮らすこの毎日は、まさしく「うつわ日和」です。

器と暮らす日々がある。
初めての本を書いたとき、伝えたいと思ったのは、そんな言葉でした。

暮らしの時間のなかで、丁寧に器を選び、その器ともに暮らす。

それは、自分のなかにあるものを深く感じ取る作業でもあります。

ひとつの器を選ぶとき、その器から聞こえてくる言葉に耳を澄ます。

器はこころで感じるものである。そのことが伝えたいことのひとつでした。

けれど、器はじっさい、何も言葉を語りません。

語っているのは、使い手の個々の内にあるものです。

自分のなかにある深いところが感じることを、器が語っているように感じる。

器とは、つくづく不思議なものだと思います。


いま、わたしは、新しい器の本を、この六月の雨の季節に書いています。

嘘のない言葉で、からだから生まれる言葉で、いま、文章を書いています。


新しい器の本は、河出書房新社より10月中旬 出版予定です。


うつわ祥見の次回展覧会は、巳亦敬一硝子の器展です。



巳亦敬一 硝子の器展

2008年6月26日(木)〜7月4日(金)

11:00から17:00 会期中無休

あたたかさが手から伝わる硝子の器。

札幌で硝子の器づくりをされる巳亦さんの器には、

不思議な魅力があります。

まいにち、手に包む、日々の硝子。

小鉢、グラス、皿・・・。

心地よさとうれしさを連れてくる硝子の器たちを

どうぞ、ご覧ください。