TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

立ち止まること。


鎌倉は夕方から雨が降り出しました。

雨は、夜の空気を、もっとつめたくします。

乾いた空気に雨の粒が染み込むように降り続いています。

きのうと、今日の二日間は高知からいらした早川ユミさんと一緒に。いくつかの雑誌の編集部をたずねたり、編集長の方とお目にかかりました。

都内に向かうのは、いつも、電車です。

皆さん揃って「鎌倉から、遠いところから大変でしたね」というふうに迎えてくださいますが、40分から50分かけて移動する電車の時間を、わたしはちっとも苦には思いません。

むしろ、この移動の時間に、ものをよく考えるのです。

不思議なもので、乗り物に乗っているときに、よい考えが浮かんだり、はっとするような言葉が生まれてくることがあります。

バックにはいつも筆記道具とノートが入っていて、その言葉を書き留めるようにしています。

人には何事につけ相性というものがあるようですが、わたしは電車に揺られて過ごす1時間ほどの「時間」と、頭の働き具合がマッチしている人間なのかもしれません。

電車の車窓を見ていますと、当たり前ながら、さまざまな「個」の暮らしがそこにあることを感じます。マンションや戸建て、そしてさまざまな商業施設が、窓の向こうの風景に現れます。

その風景を見ることが、単純に好きなのかもしれませんね。少なくても、人が生きている営みのかけらのようなものが電車の車窓から垣間見られることが好きなのだと思います。

今日は、横浜駅近くのビルの建設現場を窓ごしに見ていて、

「急ぎすぎていないか」と一行、持っていたノートに書きました。

一日のなかで、一週間のなかで、ひと月のなかで、あるいは3ヶ月のなか、半年のなか、一年のなかで、目標に向かって仕事をしていますが、時々、「急ぎすぎる」ことで見失ってしまうことがあることを省みて、短い文章にしたのです。

世の中で起こっている出来事、少なくても、目に見えるものと対峙するのは自分自身の生き方にほかなりません。

世間、あるいは、世界は、自分を写す鏡です。

アメリカの大統領が変わった日。

新しい価値観によって「これまでの人の歩みが急ぎすぎたこと」を認識し、人間の快楽のために次々と「開発」や「成長」を求めるのではなく、まず立ち止まることから、何かが始まるように思えてなりません。


さて、明日は村田森展の搬入です。

どんな器たちと会えるでしょうか。とても楽しみです。


うつわ祥見の2009年度、初めての器展

「森という名のうつわびと 村田森展」 

会期 2009年1月23日(金)〜1月30日(木)まで。

1月24日 京都から 村田森さんが在廊します。

どうぞお出かけください。