TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

この本を怖れよ    毎日更新1日め


4月になりました。

この『器と本と旅と。』という日記のような、お知らせのような短い文を書き始めて、2年ほどになります。

ときどき思い出したようにしか更新しないこの筆不精で不親切なこの文章を、読んでくださって、本当にありがとうございます。

今年2009年は、わたしにとって、とても大きな動きが表面にあらわれた記念の年となっています。

「うつわ祥見」の新しい空間が、5月1日に、鎌倉駅そばに生まれます。

そこで、4月1日から4月30日までの一ヶ月を、毎日、ここで文章を書くことにしました。(なぜか、そういうアイデアが浮かんだのです。もしかしたら、最近本を紹介させていただいた『ほぼ日』こと『ほぼ日刊イトイ新聞』に影響されたのかもしれませんね(笑)

わたしの場合は、ずっと毎日とはいかないけれど、この一ヶ月は、とにかく毎日書いてみよう、と。誰というわけではないけれど、自分とそう約束をしたくなったのです。

もし時間があれば、お付き合いください。


そして、今日。その一日めは、

『ほぼ日』で紹介した一冊の本について。

松山でも、「あの本、読んでみたいと思いました」とか「注文したんです」などと、反応してくださる方がいて嬉しく思いました。

その本というのは、前田秀樹さんの『倫理という力』です。



ほとんど口を聞かず毎日にこにことトンカツを揚げているようなおやじは
考えることが得意ではないように見える、しかし、そのトンカツがとびきり美味しいとしたら、
この人ほど「もの」を考えている人はいないのではないか、この人を怖れよ・・・という内容の出だしから始まるこの本は、実は「いかに生きるか」をとことん考えた思想の本であり、筆者の誠実さを感じる一冊です。

この「怖れ」はおそらく「尊敬」と同意語です。
この「怖れ」を知らぬ者の考えが人間を滅ぼすだろう、と前田さんは言います。

「尊敬」というものは、なにも、名高い教えや格式のあるものに対して行われるものではありませんし、
人が人に対してのみ抱くものではないと、わたしは思っています。

たとえば、人が「木」というものにもっと深い尊敬の念をいだいていたら、人の欲望のために無計画な開発も、森林伐採はしないでしょう。

そして、この「敬う」ということが、ないがしろにされてきたのが現代であるように思うのです。


たとえば、薄板一枚に釘を打つことを例に挙げて、筆者は「木と釘の性質を学ぶ」ことの大切さについて述べます。釘を打つという行為に、木の性質という「抵抗」が生まれる。
この「抵抗」こそ、相手の「性質」であり、それを敬うこと、深く知ることが大切なのではないか。つまり釘を打つ知恵のなかに、「生きていく」知恵のありかがあるというように。

無理やり木の性質を無視して乱暴に釘を打ち込んできたのが現代なのではないか。
そしてかつてない虚構の世界を生み出した・・・その結果生まれたのが、無力感であり「生きる力の喪失」なのではないか。そのことの恐ろしさを、感じます。


後半、法隆寺の修復につとめた宮大工の西岡常一さんの言葉として「木のこころを知る」という言葉が紹介されています。
石に向かう道具は石の性質に、木に向かう道具は木の性質に従わなくてはならない、道具の使用によってだけ可能な「物の学習」があり、もののこころにふれる、ということの真理について著者は淡々と説明していきます。

たとえば、「もののこころ」ということでは、わたしが伝えている「器」についても通じるものがあります。
器を作るうえで土を知ることは欠かせません。土の性質に寄り添うことがよい器を作ることには欠かせないのです。
そして、土のこころ、というものが確かにある、ということに、優れた作り手は気付くのです。
これは、器づくりに限らず、どんなものづくりも、たどり着く真理なのではないか、とわたしは思っています。

そして「もののこころ」を知ることが、人間が抱えてしまった様々な問題の解決につながっているのでは・・・と。「もののこころ」に寄り添い、それを深く知ろうとする努力の深まりのなかに、争いを引き起こさない、静かで淡々とした「平和」があるのではないか・・・と、感じています。

自然を思いのまま支配したように思い上がった行いに、もうそろそろ終止符をうつときがきたと、誰もが感じている現代に生きて、もののこころを尊うということの大切さを、この本は明快な論理と言葉で伝えています。

わたしたちが生きる目的は、ほんとうはわたしたちにはどうにもならない死の成就と切り離すことができない。わたしたちは、育っていく『死』と向き合っていかなくてはならない。そのどうしようもなさの総体が「生きること」なのではないか、とわたしは思っています。その「どうしようもなく生き」、「死を成就する」までの「生き方」のヒントがわかりやすく書かれています。

ところで、このとんかつ屋はどこにあるのか、実在するのか・・・という読者の問いかけに、前田さんは最後でさらりと答えます。
彼は生きる目的などにはまるで考えていないかもしれないが、日々よく生きようとしている。よく生きることは、忙しがらず、よいとんかつを揚げることであり、他人に喜んでもらうことである。彼は実在し今日もうまいとんかつを揚げている。自分の死を立派に育てている、・・・・彼の存在を怖れよ、と。
そこに、わたしは希望を感じるのです。

わたしのまわりにも、美味しい豆腐をつくる豆腐屋さん、絶品の牡蠣フライを出す食堂の主人など、「この人を怖れたい」イコール「尊敬したい」人々がいます。

前田さんの書かれた「とんかつ屋」は果たしてどこにあるのか・・と思っていたら、雑誌『風の旅人』の編集長が紹介していました。

http://blog.livedoor.jp/kazetabi55/archives/23363317.html

人は一つのことの真理に到達できる。いや、到達できるかもしれない可能性を秘めている。
それは、独りよがりではなく、何かの「もののこころ」を尊敬し、深く知るという学びによってのみ、到達できるかもしれない「希望」なのではないでしょうか。

そんなプロの仕事を、わたしは心から尊敬したいと思います。そういう人は、決して「偉ぶっていない」ですよ。


この文章のなかで紹介したのは、我流の抜粋です。
前田さんの著書『倫理という力』 ぜひ お読みください。素晴らしい一冊です。



明日は「プロ」についての文章を。