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器を愛することは人を好きになることと似ている、と思うことがある。
せつなくて、危うい。
相手を思う気持ちが空回りし、自分のなかで、整理がつなかい思いがぐるぐると回って、収拾がつかない。
もう会えないと思うと、身を切るほど辛い。
人のこころは手に負えない。
ともに過ごした短い時間が楽しく甘美であったならば、それだけに、それを失った時間が、辛くのしかかる。
わたしが愛したうつわびとは、突然、もう会えない人になってしまった。
夏の夜の、深い闇の時間、どうしても、この不条理に身体が反応してしまうことがある。
この喪失感はどんなに楽しいことがあっても、充たされることはないだろう、と思う。
わかりやすくて、お手軽なものなんて、何も意味はないんだよ。
器は、「かわいいもの」でも、「かっこいいもの」なんかでも ないんだよ。
ただ、どこまでも、生きるという美しいことをただ愚鈍に映すものなんだよ、と。
わたしは、その人の器から学んだことを、伝えていく。
器を愛することは、人を好きになることと似ている。
どうしようもなく、どうしょうもなく、せつないところが一番似ている。
さいきん、展覧会に来てくださる方が、わたしが伝えたいと願う器の「芯」にあるものを、感じてくださることを、嬉しく思います。
「あきらめないで伝えるという仕事をしてください」と手紙をくれたT君。お元気ですか。
本当にありがとう。この間も、わざわざ遠方から来てくださって嬉しかったです。
今日はあなたの手紙をかたわらに、この文章を書きました。
また、どこかで、会いましょうね。
夏の間は、秋に始まる展覧会の準備や、晩秋に出版が決まった本の原稿を書きます。
でも、なるべくは夕方には、onariNEARに顔を出して、器たちとの夕暮れの時間を過ごそうと思います。
なにせ、不器用に、この夏も過ごそうと思います。
「夏の挨拶」の葉書のデザインが出来上がりました。
遠く離れたあなたにも、送ります。
わたしの大好きなNEARからの夕暮れの風景を、届けます。