TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

兵庫・大阪・京都の3日間

こんばんわ。

少しご無沙汰の更新です。

この三日間、関西へお邪魔していました。

初日は静岡での地震のあった日。鎌倉も朝方よく揺れました。

わたしが乗るはずだった新幹線は欠便(・・・と新幹線でもいうのでしょうか) 二時間半遅れでやっと乗った新幹線は途中途中で止まる止まる・・・

ホントウに目的地に着くのだろうか・・・と不安になりつつ、強制的な缶詰状態でしたので、本の原稿を書いて過ごしました。

最近は小さなモバイルパソコンを持ち歩いていますが、旅先の原稿書きは、鉛筆と紙が好きです。シャープペンシルはほとんど使いません。鉛筆とわら半紙のようなざらざらした紙に、思いきりよく書くのです。

・・・そしてやっと着いた大阪では、立ち寄るはずの美術館がもう閉館の時間となり、そのままホテルへ。

翌日は早朝より大阪から電車で明石へ。そこから明石のギャラリー風来さんの車で兵庫県豊岡市へ。明石から豊岡まではだいたい2時間かかります。

豊岡では、奈良からいらした吉岡萬理さんと合流。そのあと一緒に、竹野地区にある旧大森小学校を視察。

10月に、この場所で行われるイベントの打ち合わせをしました。

そして、そこからがまた、移動です。

萬理さんの車で、次の訪問先・篠山市の篠山こどもミュージアムへ。地元の方はここで「うーん、すごい」と感じてくださるでしょうか・・ いやー兵庫県って広いんですね。瀬戸内海と日本海側と・・・移動距離が長いのです。

豊岡から篠山へ。実際この移動距離は半端ではありません、車で走ること2時間半以上なんです。その間、萬理さんとは、器つくり、それを伝えていくことについて、ずーと話をしました。

最近のわたしたちの間のテーマは

「その日にしかできないものを、毎日作る」なのですが、

これは 禅問答のように、深いのです。

作り手にとっては永遠のテーマのようでありますが、これがホントウに難しい・・・・

萬理さんが「80になってもこの日しかできないものを作ってやるぅ」と言うオジイチャンの口真似をするので、わたしはとても嬉しくて大声で笑いました。 ホントウにおかしくて・・・涙がでるほどです。

やっとたどり着いた篠山こどもミュージアムは、それはそれは素晴らしい場所でした。廃校になった中学校の校舎をそのまま使い、また新たに木をふんだんに使った建物はあたたかく、居心地のよい空間でした。

河合隼雄先生が初代館長で、この施設の運営に力を注がれていたとか。わたしは河合先生のことを尊敬していますので、先生の優しいお人柄に触れる場所を訪れられたのは大変嬉しいことなのでした。

わたしは子供は「未来」であると思っています。

「未来」である子供たちへ向かって何かできることがあるのならば、どんなことだってしたいのです。

今後、萬理さんと一緒に、何か「食べる」ということを伝えるイベントを、行っていきたいと考えています。


その後はまた電車で大阪へ戻り、宿泊。

三日目は京都駅でムービーのKさんと待ち合わせし、村田森さんの工房へ。

加茂川の上流に位置する自然豊かな場所で、一日ゆっくりと、森さんの仕事ぶりを見せていただいたり、そして器つくりについて色々な話をしました。

その様子は次回の本に掲載予定です。

一泊させていただいた森さんのお家での朝食は、家の前にテーブルと椅子を用意してくださり、大変美味しくいただきました。

森さんとわたしは会うと、器の話しかしません。どんなに話をしても尽きないんですね。それは実際真剣勝負みたいなものです。その様子は今回は特別にムービーのKさんが撮影してくれました。

終わってみると、「いつもより、ショウケンさんも森さんも 抑えていはったね」と・・とのことでしたが、充分にウツワ魂の籠もった内容になったはずです。

兵庫・大阪・京都 いつもより長い関西滞在の旅が終わり、新幹線のシートに沈み込むように座り、目をつむっていると、いつの間にか自然と眠り、気付いたらお馴染みの品川駅でした。

品川駅のホームで横須賀線を待っていると、夕方の涼しい風を感じます。

しばらく留守にしていた器たちと対面し、家族とごはんを食べて、夜の洗いものを終えて、今この文章を書いています。

NEARでは今日、たくさんの皆さんが、吉岡萬理さんの元気いっぱいのマグカップを求めてくださったそうです。

カルロス君シリーズですね。

ありがとうございます。

萬理さんの器のように、どんなときも前向きで朗らかに・・・夏も秋も冬も、どんなときに日々を愛して前を向いていきたいものです。

明日には明日の、「あした」がやってくる。

その「あした」が終わるとき「また、明日ね」と笑って言えるように。

今日はこれでおやすみなさい。

「あした」が朗らかでありますように。