むりしない
久々に、ひとりでうつわ祥見にいます。
きのうまではスタッフの神田えっちゃんがいて。
今日、彼女はNEARに。今ごろ、彼女の伝え方で、器を伝えていることでしょう。
三連休の最終日。鎌倉は穏やかに晴れた 気持ちのよい日となりました。
いま、時計は午後の3時をまわったところです。
きのう西荻窪の「たべごと屋 のらぼう」で、
石田誠さんのお皿に料理が盛ってあるのに出会ったという若い女性が訪ねていらしたところです。
その女性がいらっしゃる前に 思っていたのは、「窓」について・・・
わたしがこころが休まるのは、窓のある風景なのでは・・・と。
昼には昼の、
朝には朝の、
月の光も、
あめづぶの降る雨の日も。
窓にこころを向かっていたいな、と思います。
これでいいんだ、と思えることは なかなか辿りつけませんが、それでもいいんだ、と思えることが大事です。
誠さんの器と、「ううじん」さんの歌を聞いていると、
この忙しさのなかで何かやっぱり「急いでいたんだな・・・」と思い振り返る自分がいます。
「のらぼう」経由で鎌倉まで器を見にいらした女性に、
島根で買った「山のお茶」を丁寧に入れて誠さんの白磁の器で出すと、「美味しい」と言われる。
静かな時間です。
あたたかな時間です。
時々見失うことがあっても、この、うつわ祥見の空間で訪れてくださった皆さんと分かちあう、この時間が大切なんだと。
そう、しみじみと思います。
小さなことでいいので、こころから「よかった」と思える時間を積み重ねていくことしかできませんものね。
それは歳を重ねても、何年器を伝える仕事をしても、変わらないことですね。
女性はお茶を飲まれると、もう一度器たちを選びながら
「もう、わからなくなりました」笑いました。
わたしはその様子を見ていて
こころのなかで「それでいいんですよ」と思います。
新しい何かを選ぶとき、これだと確信できるものなんて そう多くはないんでじゃないかしら。
辿りつくまでには時間もかかるし、遠回りもします。
でも、小さなことでも、自分のなかに響く何かを感じたら・・・それには知らんぶりしないでいたい。
わたしも最初に「出合った」器まで時間がかかったように思うけれど、でも、そんな一枚と出合った日の季節とか、その店の店内の様子とか・・・風の向き・・・感覚的なものですが、全部覚えているんですね。
女性はそのあと、紅毛手の黄色のめし碗を手に包んで「これに決めました」と笑って、わたしのところへ持ってきてくれました。
「お皿は少し持っているんですけと゛、そう言えば、よいめし碗を持っていなかったな・・と思って」とおっしゃいます。
この日を、覚えていてくれたら嬉しいな・・・と思います。
「ううじん」さんの歌のやわらかなメロディと、今日の穏やかな秋の日のお天気と、
駅から歩いた坂道と・・・。
手に包まれて、器とともに。今日の思いもどこかに忘れずにいてくれたらいいな、と思います。
「ううじん」さんのCDは、長崎のオレンジスパイスの方に紹介されて、初めて聴いたのです。これも出会いですね。
初めて誠さんの展覧会に流していたら、「いい曲ですね」と声をかけてくださる方が何人もいらっしゃいました。
ファーストアルバムの「おめでとう ありがとう」です。
改めてジャケットを見ると、「むりしない」という曲があり、思わず「ふふふ」と笑みがこぼれました。
いいですねぇ。
きっと誰もが少しだけ、無理をして、生きているのだと思いますが、
でも「むりしない」と言われて、ふふふと笑える日がある。
それで少しだけ 体の余分な力が抜けていく気持ちがします。
それでいいんじゃないかな、と思います。
石田誠さんの展覧会は11月27日金曜日まで。
ぜひ 皆様 お出かけください。