TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

器と手


鎌倉は真冬の寒い一日でした。

いったん暖かくなってから この寒さは堪えます。

体調管理 お気をつけください。


さて、ここのところ、「器と手」の写真を撮影しています。

3月10日より 東京・乃木坂 国立新美術館地階 SFTギャラリーで行われる
「うつわハートフル展」の会場に 掲示する写真です。


さまざまな方にご協力をいただいて 器を実際に手に包む、手に包まれる器 器に包まれる手 の写真を撮影しています。


料理人のイチカワヨウスケくん、パラダイスアレイの勝見淳平くん、
奈良の作陶家 吉岡萬理さん、作家のいしいしんじさん、そして村上隆さんの手も。


今も夜の間、撮影した写真を眺めていたのですが、

手に包まれる器たち、愛おしい顔をしています。


こうして手に包まれるものは、土であり、時間であり、人と人のつながりであり、
そして、わたしたち自身の姿そのものだと思えてくるのですから 不思議です。


器を手に包み、ごはんを食べる。

そのかけがえのない日々はありふれた時間です。

でも、時々、器と暮らすことがせつなく思える・・・

そんなことを考えていたら ずいぶん前に『+PIUS』という小さな印刷物に書いた文章が出てきました。

自分でも忘れていたことなので 少々新鮮でしたので ちょっと紹介します。


2005年の夏に書いた文章です。



器のある風景を見るとき、調和という言葉が浮かびます。

調和というのは、そこにしっくりといく、いくつかのことがそれぞれの役割をしっかりと、ひっそりと仕事をしていて、

少しずつ寄り添って生まれてくるものです。

使い手が料理を盛って美味しいと感じたり、ほっと息つくことができれば、

その器はその人にとって、かけがえのないものです。

最近、ある展覧会で器をはじめて買ってくれた青年が一人住まいの部屋にある湯のみについて

「小さいころ親が買ってくれたカップがひとつだけ。それでなんでもまなかっていた」というのを聞いて、

ああ、いいな、と思いました。

そういう器を捨ててしまうのではなく、大事にして日々使う。

こころに触れた器との出会いがあれば、その器と、

子供のころから使っていた器の両方が食器棚のなかに並んで、調和している。

そして、一緒に時を重ねる。

そういう暮らし、そういう風景がいい。

作り手の手を離れ、器は使う人の手によって育てられます。

作り手がいて、使い手がいる。

そして、器にこころが宿る。

『うつわ日和。』で伝えたいと思ったのは、そんな何気ない「器と暮らす日々」の愛おしさにほかなりません。


今から5年前ちょうど3月に出版した『うつわ日和。』の記念展のために書いたんですね・・・



「うつわハートフル展」東京で もうすぐ始まります。

 この展覧会はこのあと、京都・札幌・長崎へと続きます。

手に包まれる器たちとの出合いをどうぞ楽しみにお出かけください。

初日10日には一日在廊します。

くわしくは うつわ祥見のホームページをご覧ください。