TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

器の同窓会 


初めての「器の同窓会」が鎌倉・なると屋+典座で行われました。

15名ほどのご参加の皆さんが雨のなか、出席してくださいました。





それぞれのお宅で使われた育った器たちが カウンターに並べられました。

その器たちの姿といったら・・


大切にされ、愛されている器たちの、なんと誇らしく、美しく、頼もしく、愛おしいことでしょう。


興奮と、感嘆と、感動と、感涙・・・ わたしが一番我を忘れていたのかもしれません・・



いま、一夜が明けて、少し冷静な気持ちでこの文章を書き始めていますが、

この胸のうちは熱く、きのうの余韻と興奮が冷めることはありません。

念願の「器の同窓会」は、忘れられない素晴らしい会でした。


「もう一度、器たちに会いたい」という我儘な気持ちから呼びかけをさせていただきましたが、

持ち寄られた器の姿を見て、愛されている器たちの日々を感じ、胸が熱くなりました。


一つひとつの、器への想い、使い方をお伺いしていると、それぞれの器にはそれぞれ「ものがたり」があるのです。


そのお話が素晴らしかったです。

高校生のお嬢さんが「うつわ祥見の器は洗うと楽しい、と言って、自分が使ったお気に入りの器を自分で洗っている」というお話、

「村木さんのめし碗を2年使い続けて、その間に悲しい出来事もありましたが、どんなときもこの器でごはんを食べたいと思う、そのことで救われたように思う」というお話、


ユーモアがあり、笑いあり、涙あり、どれも小粋であたたかく、そしてこころ深く、しみじみと響きました。


一部を写真でご紹介します。


尾形アツシさんの粉引き筒鉢。「花と器展」で。
ふだん、ぬか漬けを入れてお使いと聞いて一同「おー」という声が。
この器にお漬物・・・優雅で豊かです。

鬼才・石田誠さんの南蛮焼締の急須です。

使い手のTさんとわたしは「石田誠の器で生きていく一号・二号」の関係で、
いつもお互いに「Tさんが一号です」「いやー、一号はショウケンさん、わたしは二号で」と言い合っています。

土の力強さと、荒々しさもありながら、この、飄々とした姿、皆さんの心を虜にしていました。

しっとりとした肌といい、佇まいといい、素晴らしいです。


巳亦敬一さんのガラスの片口です。

ガラスの器も一点の参加でしたので、皆さん興味深々で話題にのぼりました。

「ガラスのこの子を持ってきたのは、どの子を持って行こうか・・といろいろ選んでいるうちに
決められなくて、ガラスだったらほかの子が納得するだろうと思ったのです」

このお話には、「なるほど! わかるわかる」と、頷きが。

「でも、皆さんの器を見ていて、次回はあの子を持ってきたい、と思いました」とおっしゃる。

この会では器のことを、「この子」「あの子」ととても自然に呼びます。

皆さんにとっても まさに「うちの子」なんだ!と思ったら、とても嬉しくなります。

ふだん、トマトなどの新鮮な野菜を盛って使っているそうです。



「ショウケンさんが一番会いたい器じゃないかな・・」と思ってとおっしゃって持ってきてくださったのは・・・、

それはよく焼き込んだ、硬く、強固な、青木亮さんの薪窯の粉引き鉢でした。


うつわ祥見で個展をしていただいた際の器でした。

この器との再会は、思わず、言葉を失いました。




「器じゃないんですけど・・」とお持ちくださったのは、小野セツローさんの祈りの土人形。

そうでした、そうでした、『セツローさん』の出版記念展を、なると屋+典座で行ったのでした。

まさか、セツローさんの土人形まで来てくれるなんて!!


「初めて本物のセツローさんの土人形を見た」という方もいらっしゃいました。


須田二郎さんの木の器も見事に艶やかに育っていました。

「ふだん何をのせているのですか」「染みがついたらどうしていますか」と質問が多く寄せられました。

白木だったはずの「いちょう」の木肌が飴色が変わっていく様子を、わたし自身も初めて拝見しました。

姉妹で参加してくださった方のマグカップ。

小野哲平さんの鉄化粧と、村木雄児さんの粉引きです。

「毎日これでなんでも飲んでいます」という哲平さんのマグカップの鉄化粧は
手触りも何もかも艶々に育っていました。
 外側の質感が素晴らしい変わりようです。
 やはり、器は使ってこそ生きてくる・・「手」が器を育てるのですね。

 お二人に愛されて手に包まれている器たちの毎日の様子が微笑ましく想像できました。

 幸せな器です。


右は吉岡萬理さんの鉄彩の皿です。

食卓に毎日のぼらない日はないというほど活躍しているそうで、

しっとりと深みを増して目を引きます。

使い始めの質感から信じられないような「変わりかた」で、ほれぼれしました。



そのほかにも、石田誠さんの南蛮碗や紅毛手のそば猪口、
哲平さんの唐津碗や皿、村木雄児さんの刷毛目めし碗、尾形アツシさんの刷毛目皿など。

どの器も、それぞれの家の食卓で 欠かせないものとして 頼りにされ、

存在感を増していました。


わたしは、胸がいっぱいでした。

器の仕事をしていて これほど嬉しい一夜はありませんでした。


驚いたのは、会の最初から最後まで

「次回はいつされますか」「年に何回か行ってほしい」「次回は何を持ってこよう」と、

次の会を楽しみにされる声が皆さんから聞かれたことです。

典座のイチカワ君も「また、ぜひ、やりましょう」と言ってくださって。

「じゃあ、次回は伊豆の旅館にでも泊りがけで行きますか」なんて。


皆さん口ぐちに「(こんなふうに器に想いを抱いているのは)自分一人なのかと思っていましたが、

こんなに同じ思いで器を愛している方がいらっしゃるなんて・・本当に来て良かった」とおっしゃいます。

ほとんどの方がお一人でのご参加でしたが、器を通じて すぐに打ち解けて 和やかな会となりました。



最後に皆さんと、一つひとつ器を手に持ち、記念写真を撮り、閉会となりました。



手に包まれる器というものを愛する。

そのことが人を励ますことがある・・・


人は ともに感じあうことができる・・。

器を通じて学んだことです。


きのう、わたしは本当に、幸せでした。

愛されて使われている器たちも、幸せな顔をしていました。 


どの器も、それぞれの家へ 帰っていきました。


ご参加いただいた皆様 本当にありがとうございました。


いつかまた、こうして、器の同窓会を開きたいと思います。