TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

 つながること。

先日、佐賀県で作陶しているSくんが訪ねてきた。

NEARに電話をかけてきて どうしても会いたいと言う。

「個展の最中に ある方に 『器、この、名もなきもの』を勧められて読んだら、自分の個展どころではなくなり、一度どうしても会いたいのです」と。

S君は九州から それから すぐに会いにやってきた。

NEARにやってきた。大きな荷物を背中に抱えて。背の高い瞳のきれいな青年でした。

「これからどこか別のお店もまわるのでしょう」と訊くと、

「いえ、ショウケンさんに会いにきたんです」と快活に言った。

わたしがNEARにある器を手に包む仕草を見て「ショウケンさん、そんな・・・そんなに愛しそうに・・・包んで・・」なんて、笑いながら「あてられて困ります」みたいな顔をするのだった。

最後に躊躇しながらも自分の作品を見せてくれた。片口とぐいのみと湯のみ。地元の土を使って焼き上げたものだった。

たぶん一番気に入った器を持ってきてくれたのだろうと思った。けれど、わたしが見たいのは「めし碗」だったので

「どうしてめし碗を持ってこなかったの?」とわたしは彼に訊ねた。「片口やぐいのみじゃなくて・・」

「すいません」と彼は言った。 

彼は次はよい器ができたらまた見てほしいと言って、最後に「握手してください!」とわたしの手を握り、「このような手をしておられたのですか」と笑って、風のように帰っていった。

それから幾日か経ったある朝、NEARへ向かう準備をしていたとき、ふと、S君にわたしの本を薦めたという方はどんな方なのだろう・・・と思った。

男性だろうか、女性だろうか。

彼の、陶芸にかける誠実な姿を きっと見守り、そして応援している方なんだろうな・・と想像した。

その日、NEARにいると 一通の郵便が届けられた。

達筆な筆で書かれた封書を開けて読むと、その、S君が訪ねてきたことに対してふれていた。朝に想像した方からのお手紙だった。「若さゆえの行動に、迷惑をかけたのではないか・・」と案じていらした。

「大きな区切りとなった」という彼の今後に期待したいと思います、と書かれ、一言お礼を・・・と続けてられた。

思いが伝わる素敵なお手紙だった。


最後に 追伸に書かれていた文面があまりに愉快だったので わたしは随分嬉しい気分になった。


ここで紹介させていただきます。


 

『日々の器』で拝見した染付豆皿が『器、この、名もなきもの』では直しが施されていました。
 過ぎた雨の日、松山で、器神に頂いてからの刻の流れ、その深さを感得してます。
(因みに凡夫の目には、バッファローでも、兎でもなく、犬にしか・・・。今でも犬デス・・・)

 


器を愛して、器の仕事をしていて よかったなぁ と思うことが時々本当にあるものです。

器を愛して、伝えたい一心で書いた言葉が届くことも、お会いしたことのない方々とつながることも、本当に奇跡なようなことです。想像を超えたことです。

わたしは、こんな夜は、人を信じようと思うんですね。

人を信じようと思うなんて、子供じみて なかなか言えないでしょう・・・

でも、そんな気持ちにさせてくれる出合いが、時々 嘘偽りなくあるものです。

松山で運命的に出合ったあの染付の豆皿は 大事にしていたのに 大事に使いすぎて 欠けたのです。それを森さんに見せたら「ぼくが継いであげます」と言って 漆で継いでくれたものです。

「ショウケンさん、器にバッファローの画は描かんでしょう」と笑った当時の森さんの言葉、そして「わたしには犬にしか見えない」という今回のお手紙の方の朗らかさ・・。

なんて愉快なのでしょう。

辛いことも悲しいこともあっても でも朗らかに生きましょうよ、と思える日があるものです。

明日食べるものを楽しみにして、少々のことがあっても、食卓を明るく囲んで 生きましょうよ、と。

希望にあふれた、生きたごはんを食べましょうよ、と。

そしたらきっと時々、こんなに愉しいことが起こるから。



今日はこの文章は、星野源さんの歌を聴きながら書きました。

では今日はこのへんで。

明日も器と朗らかに お過ごしください。

気が付いたらもう午前1時です。

おやすみなさい。