TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

 お盆に見た夢の話 

こんばんわ。

毎日、本当に暑いですね。

お盆休みで故郷へ帰郷されていた方もいらっしゃったのではないでしょうか。

この数日、こころに映る出来事が色々とあったのですが、最初に夢の話を書きたいと思います。

14日の朝に不思議な夢を見ました。

目覚める直前に見た夢です。

お祭りに登場するような山車に、姉や家族が乗り、わたし以外を置いて楽しそうに行ってしまうという夢でした。

姉がわたしの服を借りたいと言うので、なんでも好きなものを着たらいい、と伝えるのですが、借りたいと言うわりには、にこにこと優しく微笑んでいるだけで、借りた服を置いていこうとするのです。

どうして持っていかないの?と姉を追いかけていくと、
その山車に、顔ははっきりとはわからないけれど、懐かしさを感じる多くの人が乗っていて
楽しそうに談笑しながら去っていく。

まだ幼い娘もちゃんと仲間に入れてもらい、ちょこんと座っている。

それはせつないようで、どこか安心するような、懐かしいような、不思議な余韻のある夢でした。

目覚めて思ったのは、いまここにつながっていることの不思議さでした。

わたしがいま存在しているのは、ただ現在「先頭に立って」「いる」のだということを、
夢見のあと目覚めてすぐに思ったのです。

体操の時間に前習いをしているような・・・というと、伝わりやすいかもしれません。
その先頭に、ただ現在(いま)、たまたま わたしが立っていると感じるという感覚です。

夢まぼろしのように山車に乗って楽しそうに去っていったのは、
その列の後ろに並んでいる「ご縁」のある人々だったのではないか、
そう考えれば、ご先祖さまをお迎えするお盆だから こんな夢を見たのではないか・・と、そう素直に思えたのでした。

そんな夢を見て目覚めた朝に、田舎に一人で住む義母から電話があり、夫の小さな子供のころの夢を見たというのです。

夫が十代の頃に亡くなった義父とともに、子供時代の夫と三人で川の字になって 寝転んで、「かわいい子だ、かわいい子だ」と頭を撫ぜながら話をしている夢を見た・・のだと。

「お墓参りに行ってきたから、そんな夢を見たのかもしれないね」と義母は少し涙声で、
けれど気持ちを弾ませて嬉しそうに話してくれました。

義母が夢の話をするのを聞いたのは初めてのことでした。

妙にこころに残る朝でした。

そんな夢の「つながり」があって、夕方NEARへ行くと、白い器たちが奇妙なほど新鮮に感じられたのです。

白は鎮魂の色と言われます。

清浄で奥ゆかしく、尊厳を意味する色なんですね。

そんな白い器たちを眺めていて ふだん 途切れ途切れに考えていたことがつながって思えたことがありました。

それは、わたしたち現代人は過去に生きた人々へもっと敬意を表する必要があるのではないか、ということです。

忙しい現代を生きぬくためにさらに「便利」を追求することや、
自分たちの欲望を満たすための「遊戯」をこれでもか、これでもか・・と求めるのではなく、

過去に生きた人々への尊敬や、未来に生きる人たちへ希望を手渡す・・・

企業が躍起になって人々の欲望(ニーズ)を満たす商品を作り出すのではなくて・・・ということですね。

・・・・・・

それ以上には「なにもない」白の器たちを眺めていますと、
少しだけ 謙虚になることや、「求めない」というこころがどんなに「潔いものか」を感じます。
そうは言っても、白だけを追いかけて人は暮らせるわけがないですし、
不自然な「ストイックさ」は決して褒められたことではありません。
そういう不健全さからも抜け出た豊かな「白」がいいなぁ・・・と思うのでした。

夢の話に戻れば、いま考えると、あの夢に見た山車は、
七福神のような朗らかでユニークな魂を持っていた人たちの乗った乗り物であったように感じてくるんですね。
遠くで祭囃子が聴こえてくるような「賑やかし」であったような気がしてくる。

そんなふうに呑気に夢を分析できるのも、
好きな器とともに暮らしている今のわたしが幸せだということかもしれません。

なんだか今日はいつもと違った日記になりました。

明日は14日、15日に行った「NEARのバータイム」と、札幌で終了した「うつわハートフル展」について書きます。

話したいことがたくさんあるので、今夜はこのへんで「明日につづく」です(笑)

おやすみなさい。