TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

 数字の話と「ヨノリフ」の話。

こんばんわ。

「うつわ祥見」のこどものうつわ展の最終日。

昼間、この文章を書こうと思ってページを開いたら、
「いまメンテナンス中です。時間をおいてからアクセスしてください」と出たので、
その時間を利用して、いしいしんじさんのエッセイ集『熊にみえて 熊じゃない』の「大学遊園地」という文章を読みました。

いしいさんが博物学者の南方熊楠について書こうとしたら、
大学の講義について話が脇道へそれてゆき、最後は「南方熊楠についてはまた改めて書きます」で終わる短いエッセイです。

そのなかで京都大学で畑違いの理数系の講義を受けた話が書いてあり、

森毅教授の数学の講義がもっとも ためになったと、いしいさん。

少し紹介すると・・・。


・・・・・・


森毅さんは満場の学生たちに向かって

エート数学やけど、君らは数ていくつまで勘定できたらえらいとおもいますか、といった。

誰かが手をあげ、無量大数までやないんですか、というと先生は死ぬまでやってなさい、といった。

誰かが手をあげ、人生七十として三千万まで数えれるて読んだことあります、というと先生は
それは数学やなくて保健体育です、といった。

ええかー、と先生は面倒そうにいった。

数学ていうのは。みっつだけでええの。

「ゼロ」「いち」「たくさん」。これだけ。存在する、しない、するんなら単数か複数か、
それを考えるんが数の学問すなわち数学、今日の講義はこれまで、といって森先生は教室をでていった。
                          
                    いしいしんじ『熊にみえて熊じゃない』(マガジンハウス)より

・・・・・・

わたしは今日、「数字」のことをここで文章に書こうと思ってきたので 森先生の「数学論」がやけに心に残ったのでした。

「ゼロ」「いち」「たくさん」・・とつぶやくと、なせだか急に 世界が新鮮さを帯びてくるのはなぜでしょう。

こどものうつわ展に出展の石田誠さんの 染付けの数字たちも なんだかその「新鮮な世界」からこちらの世界へ「ひょい」と遊びに来たかのように
軽やかで、楽しいのです。

ふだん、石田さんの器が届く度、「イシダマコトには泣かされる」と言い続けていますが、今回もしてやられた・・という具合。

皿やめし碗、そば猪口にかかれた「333」や「094」や「101」・・・という配列にはとくに意味がない数字たち。

この数字が妙に明るくて楽しげで 実にいいのです。

最初は、こんなに数字が描けるのならば、絵も描けたのではないかしら・・といぶかしげに見ていたのですが、

だんだんと、じわりじわりと、この数字に惹かれ・・(この、じわりじわりが誠さんの器の最大の魅力なわけですが)。

夜中にこっそり抜け出して、ダンスなどして、また朝に人間に気づかれないように戻ってきているのではないかしら・・と思えるほど、
生き生きとチャーミングな「数字」がすっかり気に入ってしまいました。

実際にお持ちになった皆さんのコメントが秀逸で、それぞれに「ものがたり」がすでに生まれていて 心憎いので紹介します。

たとえば「234」の皿を買われた男性の方は 「朝、使うのがいいよね。ぼくが号令をかけるの、いち! そしたら皿が234って続けてくれる」・・・

なんて素晴らしい連携でしょう。

または「101」と「97」(だったと思います・・)のふたつのそば猪口をお求めになられた方は「夫とふたり、ともにここまで一緒にいようねっていうメッセージにして、ふたりで使います」とおっしゃったのが印象的でした。素敵ですね。

器を「作品」と呼ぶとしたら、その「作品」は作り手の手を離れて、使う人の手によって育てられるものですが、
その出発点がおおらかで伸びやかであればあるほど、使う人にとって「自由の裁量」を与えるものだと実感します。

森毅教授の「ゼロ」「いち」「たくさん」の世界に、
わたしたちが生きる「生き生きとした」そして、朗らかな世界があり、
その日常をユーモアたっぷりに微笑んで生きること。
その毎日に、器が食べる道具として使われ、
人と器の関係はいよいよ「生き生き」と呼応するものとなる。

そう考えると、器と暮らす毎日がいっそう愛おしく、「明日もたっぷりと生きることを楽しもう」という気持になってきます。

わが家では最近、「世の中にある理不尽」を「ヨノリフ」と呼んで、そういう場面に出会うたびに「またヨノリフだね」と笑って使うようにしています。

言葉を短縮することは好みではなく、どちらかというと、わたしは短縮した言葉を避けてきた人間ですが、

この「ヨノリフ」はあえて、諧謔をもって、世の中にはびこる「理不尽さ」をそう呼んで、やり過ごしたいと思うのです。

世の中の理不尽さを、「それは理不尽である」と認識することから始めたいと願うのです。

そして、せめて、その理不尽とちゃんと向き合い、そうではないほうに 立っていれたら・・と思います。

子供たちは大人の背中を見ていますね。

「理不尽なことは多いけれど、それに流されず、あきらめず、
理不尽なことは理不尽であると知るかどうか。
そのものさしを養う。それで人の生き方は変われるんだよ」と、言えたら素敵だなと思います。

数字の話と「ヨノリフ」の話。

また後日、ゆっくりとしたいと思います。

おやすみなさい。

こどものうつわ展は、明日からは鎌倉駅そばのonariNEARで 引き続き ご覧いただけます。

9月29日まで。木曜日定休日です。

どうぞお出かけください。