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うつわとともに。祥見知生のブログです。

偶然の不思議さ

展覧会

こんばんわ。

日曜日の夜、もうすぐ日付が変わる時刻となりました。

でも明日は多少寝坊をしても大丈夫、連休なんですものね。

きのう、スタッフとして働いてもらっているN君に「ショウケンさん、お忙しそうですけれど、家事とかしているんですよね」と言われ、

「当たり前じゃない。家族のごはん作っているし、毎朝6時半に起きてお弁当も作っているわよ」と答えたら、

「そのわりにお元気ですよね」と不思議そうな顔をされました。

元気といえば元気です・・という感じですけれど、実際は、「元気じゃなくちゃ つまらない」と思っている気持が強いのでしょうね。きっと。元来、欲張り気質なんだと思います。

先日の日記にも書きましたが、いしいしんじさんのエッセイが面白くて 手放せません。

この『熊にみえて 熊じゃない』。

一見、なんでもない出来事が次々とつながりを見せて、驚きの展開を見せてくるのですが、

たぶん、本当にいしいさんの周りで起きた不思議な出来事を書いていらっしゃるのです。

こんなことが起こるのかな・・・そんな偶然ってあるのかな・・と思う方もいるかもしれません。

わたしにとっては、その「偶然のつながり」そのものが信じられ、
どちらかというと、その一点から勇気をもらったような次第。

というのも、わたしのまわりでも、本当に信じられないような出来事が次から次へと起こり、
これはいったいどうしたものか・・と最初は戸惑っていたのですが、
最近はそれが当たり前というのか、世界を作り上げているものはこんなにも綻んでいるものなのだと納得したり、
驚くような出来事がいたってフツウに感じられるようになっています・・・。

ある朝、ふと思いついた言葉が、
「これは何を意味するのだろう」と思っているうちに、その言葉を背負って「何か」が必ずやってくる。

世間では「引き寄せ力」などという言葉で表現されるようですが、
そういう言葉をわたしは信じないところがあって、

あえて、「不思議さ」と表現しています。

この「不思議さ」はいたるところに潜んでいるので、「あ、またいた」とか「あ、また、やってきた」というように、
ある程度人格化されているというか、ある「かたち」のある存在となって、いつも親しげにやってくるのです。

わたしはその「親しげにやってくる不思議さ」を最近いっそう感謝して、慈しむようになりました。

日々、小さなことでも 見逃せない不思議さに囲まれていると、
世の中っておもろしいなぁ、生きるのに値するなぁ・・・と思えてきますね。

難しい言葉で語る必要もないし、しかっめ面で世間に唾を吐くこととも無縁です。

いしいさんが書き続けられる「驚いた日常」に、非常に親近感を感じてしまいます。

いしいさんには、高知県立牧野植物園で行われる「樹と言葉展」に言葉を出展していただいて、何度かお会いしています。今度の週末には一緒に高知へ行く予定です。

世界を作っているものの不思議についても
ゆっくりお酒など呑みながら お話してこようと思っています。

9月もいつの間にか、10日あまりとなりましたね。

酷暑の疲れがこの時期に出て 身体の不調を訴える方も多いようです。

気をつけてお過ごしください。

ただいま、onariNEARでは 「こどものうつわ展」を行っています。

ふだん作られない、特別に作っていただいた、一回り小さな器たちをご覧いただけます。

ぜひお出かけになり、ご覧ください。

器と接していると、作り手が作る器には同じものは一つもないことに気がつきます。

同じ土、同じ釉薬、同じ温度で焼成しても、二度と同じ器は生まれてこない。

ここにも偶然の不思議さがありますね。

ときどき、この一つの器が、いまここにあることはなんて不思議なことだろうか、と思うこともあるのです。

土が人の手によって、「うつわ」という形になり、焼かれて、そして運ばれて・・・。

そして、その器が、それぞれ使う方の家へ選ばれて行くことの、縁というものも、もっとも不思議なことではありませんか・・・。

わが家の器は、他所のギャラリーで求めたものが多いのですが、「よくぞ来てくれました」と、食器棚のなかの器たちへ声をかけると、気のせいか、器もなんだか誇らしげな顔をするように感じます。

こうしたちょっとした変化を感じられるのは、きっと、自分のなかに生まれた「感じ取る能力」が少しだけ豊かになった現れですね。

「感じ取る能力」こそが、「感性」です。

きっと、「偶然の不思議さ」の鍵もこの二文字にあるのでしょう。

明日もゆっくりと、器とともに健やかに。 よい休日をお過ごしください。

おやすみなさい。