うつわとともに。祥見知生のブログです。

 木の器と清らかな気持ち

こんばんわ。

須田二郎さんの木のうつわ展 明日が最終日となりました。

一日だけ早川ユミさんの本の編集の仕事で留守にしていた日を除いて
ほぼ毎日、うつわ祥見で お出かけいただいた皆さんとお話をさせていただいています。

今日は札幌の展覧会に来てくださっている方をお迎えしました。

二年続けて行っている札幌・チョロンでの器の展覧会の初日に来てくださっている方との、嬉しい再会でした。


今朝ニュースで 早稲田の斉藤投手が すっきりとした若々しい顔で「財産は仲間だ」と言っていましたが、

わたしにとっては、器を通じて出会った皆さんが財産だなぁ・・とつくづくと思います。


斉藤投手の話をすれば、わたしはこの純粋な言葉をそのまま受け入れてあげたいな、と思ったんですね。

野球のことはわからなくても、その財産があとあと光を失ってしまう、危ういものであることは充分承知していて。

それでも、光のあるほうへ努力を積み重ねて行く逞しさを 彼には持っていてほしいと思う。

斉藤投手のことをここで触れたのは、別に彼のファンとかそういうことではなくて、

あまりにも世の中に、まっとうな輝きというのかな、駆け引きではなくて成立するものが少なくなってしまったような気がして、がっかりすることが多いのですが、

それでも、ささやかな日常のなかに、ほっとしたり、しみじみ良かったなと思えることを積み重ねていくしかない。

器はそんな毎日に、そばにいられるものなんですね。

今回、須田さんの木の器と 長く一緒にいて思いました。

木はなんて気持がいいのだろう・・。

身体のなかの細胞が喜んでいると言ってもよいかもしれませんね。

木の器の前で、「素直な気持」がどんどんでてくるのです。

素直な気持を持っている自分に、もう一度会っているような・・・そんな清らかな気持ちになる。

不思議ですね。

そしてふと家のなかにあるものに目をやると、うつわ祥見の家具はすべて木の家具なんですね。

イギリスのアンティークで、ほぼ百年経っているオーク材の飾り棚やテーブル、椅子。

木が姿を変えてここにいてくれる、という感覚はとても新鮮です。

ただいま高知の牧野植物園で行っている「樹と言葉展」で、
作家のいしいしんじさんが出展してくださった言葉のなかにも、家の柱となった木についてふれられているのです。

頭ではわかっていたことでしたが、
この「木が姿を変えてそばにいてくれる」から心地よいのだという感覚を実感できたのでした。

そして、器に関して言えば、やはり心地がよいのは「土」とともにいる感覚なのでは・・と思います。

何も無骨な土のかたまりがいいというのではありません。

そうではなくて、「土」のよさを素直に引き出した器に感じる何か特別な気持のよさは、つまるところ、「土」とともにいる感覚がわたしたちを安心させているのではないか・・と思うのです。

このあたりは言葉に表現して伝えるのが難しいですが。

明日、須田さんの木のうつわ展は最終日を迎えます。

ぜひお出かけになり、手にとって ご覧ください。

生活のなかに、木の器を取り入れてみて わかること、きっとあると思います。

森への気持ち、人と樹の関係、呼吸している木の器と暮らすことで 感じられることが、きっと。