TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

 遠慮がちに声を小さくしているのは止めました。

こんばんわ。

今日は、きのうに続いて、少し改まったことを記してみようと思っています。



うつわ祥見という名で、器を伝える仕事を始めて、9年になります。

9年は決して長いキャリアではありません。何も始まってはいない、と思えるほど短い。

しかし、不思議なことですが、

どういうわけか、私には、器しかなかった。

色々選ぶ選択肢があったのではないのです。数あるもののなかから、「器」を選んだのではないのです。

たとえば10代前半で、文章を書く仕事につきたいと願うようになりましたが、
10代後半で すでに、自分はいつか器に関わる仕事をするだろうと感じていました。

20代でフリーランスのライターとして「書く仕事」を始めました。
その頃は人の紹介で次々に仕事をいただき、インタビュー記事を自分で「会いたい人に会いに行く」スタンスで人選・取材場所などもコーディネートし、ずいぶん我侭をしたように思います。その当時に、細野晴臣さんにも出会うんですね。

ライターの仕事をしている間にも、ずっと器の仕事をいつ始めることになるのか、
自身の人生設計など考えているのではなく、ただ直感として、その器を伝える仕事の「始まり」がいつなのか・・・予感のようなもの、
ある意味、決意のようなものを発効するのは何時なのかを、模索していたのかもしれません。
・・実際今でも覚えているんですが、渋谷のティールームで「いずれ器の仕事をすることになると思う」と
向かい合って座っていた友人に そう断言していた事を思い出します。

ライターの仕事をしている最中に、バブル経済に浮かれて、見失うものに強く危機感を感じました。

当時、食の問題は、もっとも、心を痛めたことでした。

普通にスーパーマーケットへ行くのも、怖かったのです。

動物性の食べ物を食べることに罪の意識が高まり、一切の魚・肉を食べない時期が続きました。

添加物・残留農薬・・。 自然食の店でかろうじて食べるものを調達して、食べていました。

しかし、思ったんですね。

そういう「何か特別なもの」を選んで食べることが、「自分だけが助かる思想」につながっているのではないか・・と。

それは大変危険な考えであると感じました。

きっと、動物的な勘が働いたのでしょう。

健全的な生き方は、もっと、別のところにある、と感じたのだと思います。

私にとって、器とは何かを考えることは、

なぜ自分にとって、器がこれほどまでに特別なものなのかを 考えることでした。

そして、うつわ祥見を開いてから 数年ののちに、やっとたどり着いた答えがありました。

それが、「器とは食べる道具である」という、当たり前の、ごくシンプルなことでした。

こうして、改めて 書き記していても、なんだ、そんな単純な答えを大げさに・・と人は思うかもしれません。

しかし、私にとっては、本当にやっと見つけた答えなのでした。

なぜこれほど、わたしは、器のことを、寝ても覚めても考えているのか。

器とは何か。

よい器とはどんなものなのか。

どうしたら、器を、もっと手渡すことができるのか。

おせっかいといえば、おせっかいな話です。

自分の稚拙な部分を告白しているようで、まったくお恥ずかしいことですが、
それほどまでに時間や労力をかけて伝えようとしている器とは、なんであるのか・・・

ずっと考えてきたように思います。

ごはんのうつわ展、美しいめし碗展、うつわハートフル展。

器は人の手に包まれるものであること、手のなかで愛されて育てられ、かけがえのない日々をともに生きるものであることを
この数年、テーマのある展覧会を通じて、作り手の皆さんとともに、伝えたいと願ってきました。

そして今年、展覧会「TABERU」をスタートさせます。

これまでのように、遠慮がちに声を小さくしているのはやめました。

「器は食べる道具なのだ」という信ずることを、
それはもうストレートに 器自身の力で、もう言葉など必要ないほどに、強く伝える展覧会をスタートさせます。


器は自由でいいのです。

高尚な趣味の世界で格式や権威を守る存在であることも、否定するものではありません。

ある者にとっては、自己表現の切実な手段として、己の内面を投影する「芸術」であるかもしれません。

それを誰も否定できません。

けれど、私には伝えたい 器(うつわ)がある。

人が生きていくために必要な「食べる」ために、手に包む、器を伝えたいのです。

作り手の皆さんとともに、信じる器が、あるのです。

きっともっと時間が経ったとき、このがむしゃらな熱情を、私自身が振り返る日も訪れることでしょう。

その未来の時間に、約束したいと考えています。

この2011年3月に起こった未曾有の大震災のさなか。

「食べることは生きること」

この大げさで重苦しい言葉を、もっと、明確に伝えていきたいと願います。




きのう、深夜に、少し目が冴えて、手元にあった1972年6月発行の『ユリイカ』を開いて読んでいました。

ユリイカ』は詩と批評の雑誌です。

特集がパウル・クレー。 吉田秀和さん、川村二郎さん、滝口修造さんなどが寄稿されている。

新人として池澤夏樹さんの詩も掲載されています。1972年のこの号に載っている詩は、

戦争の記憶やアメリカに従順な祖国を憂いた文章なども見られました。

もう休もうと思ったとき、最後の最後に、編集後記の小さな囲みの文章に目をやりました。

そこに、こんな文章が載っていました。



約束とか予定とかいっさい持っていなかった頃、ある美術館に毎日のように通っていたことがある。

中世のほとんど朽ちた木像が目的だった。

ある日、古代ペルシャの陶器を硝子越しに眺めていて、

不意に異様な感慨に打たれた。

かつてその器が置かれていたであろう空間を想像したのである。

その器を包んでいた空間の美しさは、ごく自然にその器の美しさとつりあっていたはずである。

私は、器の美しさが液体のように流れ出して仄暗い空間を満たしてよく様を思い浮かべた。

その周密な雰囲気は私の全身をすっぽりと包み込み、私は窒息に似た感動を覚えた・・・。



編集人の三浦雅士さんの言葉です。

小さな3センチ四方くらいの囲み記事に見つけた器の言葉です。

この、液体のように流れ出すような器の美しさに、窒息に似た感動を覚える・・という記述に、息を呑みました。

筆者の三浦さんも、このような時を経て、この小さな記事に感ずる読者がいたことを驚いてくださることでしょうか。

深夜に、原発事故の深刻さにため息をつき、沈む心で開いた、古い詩の雑誌で、器の言葉に出会った自分がなんだか可笑しく感じました。


・・・まだまだ私には、器を語る言葉が足りません。

だからこそ、明日もあさっても、器とともに生きたいと願います。

昨日も書きましたが、この震災直後の非常事態に、日常の大切さが、身に染みます。

震災直後に生鮮食品の棚が空っぽになったスーパーで、ようやく買い求めたソーセージを、フライパンで焼いて醤油をたらして食べました。
かりかりに焼いたソーセージ。とても美味しくて、有り難かったのです。
そんな食事であっても、やっぱり、気に入った器で食べる食事は愉しく、嬉しく、せつなく・・・。
食べるとは、どんなに幸せなことであるのでしょう。
それを支える日々の器こそ、わたしにとって、「ペルシャの古代陶器」の息を呑む美しさに匹敵するほど、かけがえのないものです。

展覧会「TABERU 」明日搬入です。

また、会場の様子や出展の器について お知らせしていきます。

皆さんも、それぞれの日々、どうぞ器とともに健やかに。

被災地の皆さんに 一日も早く、平穏な日々が戻りますように。

おやすみなさい。