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うつわとともに。祥見知生のブログです。

 4月になって


4月を迎えて、今日で二日めです。

皆さん、お元気でいらっしゃいますか。

元気であろう・・・と「カラ元気」で必要以上に頑張っていらっしゃるのではありませんか。

3月11日の震災から、大きな時代のサイクルが変わってしまったように感じます。

震災で被害を受けた地域の皆様の、一日も早い、平穏な日々が取り戻す日が訪れることを願っています。

ボランティア活動へ現地に出向くこともできず、福島でますます深刻化する原発事故の現状に、一日たりとも、心休まることがありません。

じっさい、わたしは、あれからというもの、首から胸にかけてにずっと痛みを感じ、その「痛み」が止まることなく続いています。

よく胸が痛いという言葉を使いますが、こうした「痛み」は、比喩ではなく、本当に胸が痛いものなのだと知りました。

ああ、これが、心的な「痛み」つまり過度なストレスというものなのだ、と感じます。

そしてこのままでは、徹底的に、心がやられ、体にも大きな負担が顕著にあらわれ、いずれ心的ストレスが原因の病気になってしまうと 容易に想像できるのでした。

とてつもなく、大きな絶望感と、無力感が、体と心の両方を蝕んでいたのです。



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しかしながら、誰もがそうであるように、前を向いて、どんなときも歩を休めることはできません。

3月30日と31日には、去年からずっと楽しみにしていた松山へ出向き、82歳のセツローさんのお誕生日会を行なってきました。

松山の中心部に宿をとり、初日には、伊丹十三記念館へ行き、たっぷりと、伊丹さんという「美しいものさし」の持ち主に会ってきました。

夕刻の街を走る市電ののんびりとして懐かしい風景に、心が安らいでいくのを感じました。

セツローさんはますますお元気でした。

8本の長いローソクと、2本の短いローソクをたて、「ハッピーバースディ」の歌を2回歌いました。

セツローさんの笑顔は、どんなものにも勝る。この時期にセツローさんとお目にかかれた事は、私にとって、大きな励ましとなりました。(お祝いに行って、逆に笑顔という素敵なプレゼントを貰って帰ってきました)。

そして翌日の4月1日。

朝目覚めると、とても不思議なことが起こりました。

何か、すぅっと、心が軽くなったのです。

日めくりのカレンダーが一日めくられただけの、たった一日の時間の変化なのに、街を歩いても、何かが違うのです。

そんな感覚を自分でも信じられない思いで 心へ問い続けながら、打ち合わせのため、震災以来初めての新宿へ出向きました。

震災の時に予定されていた 本のデザイン打ち合わせの「仕切りなおし」です。

驚いたのは、ご一緒した皆さんが、私と同じように、この日、何か小さな変化が起こっていると敏感に感じていらっしゃていた事でした。

お天気のせいかもしれない、と誰かが口にしました。

確かに・・・そうかもしれません。

春。言葉にすれば、単純明快です。

春が確実にやってきている、4月1日の明るい陽光にあふれたお天気は、関東に住む人間の多くが、それを実感するには充分な一日でした。


4月2日。朝の時間に、高知の小野哲平さんへメールの返事を書きました。

最近いただいた「生活はその後いかがですか」という言葉への返事です。

哲平さんへ書いた文章なのですが、自分でも驚くくらい、静かな気持で、昨日感じた「平らかな心」の理由を綴っているのでした。

今の私の心境が素直に文字になっているのです。(メールを自然に書いていて、出てきた考え、整理された考えなのです)

記してみます。興味のある方は読んでください。


 


哲平さま

おはようございます。

4月になり、原発事故の深刻さは変わらずますます酷くなるかもしれない可能性があるものの、

事故を起した原発のその後を「受け容れて」生きていかねば・・という平らかな気持になりつつあります。

「受け容れる」というのは、その存在をただ否定するのではなく、今までの傲慢さを詫びて、収束へむかっていただく・・・という鎮魂の気持です。

人間が生み出してしまった「怪物」へ、正直な気持です。

賛成と反対 どちらもエネルギーがいります。

しかし人間自身の最も弱い「よい生活で呆けていたい」「誰かより優位に立ちたい」という願望が作り出した「怪物」に、
自分たちの弱さゆえに産んでしまった「怪物」に 
まず詫びる気持が必要なのではと思うようになりました。

これは自分でも不思議な変化です。

もしかしたら、いっさい物を言わず、もくもくと自らの命をまっとうしする植物の姿 (鎌倉も新芽が芽吹く春がやってきています) に教えられているのかもしれません。

土から生まれた、器にできることがある。

そう信じます。

「手」や「心」。 器はそこにダイレクトに訴えるものです。

「器は心で感じるもの」であることが、私には救いです。

そして、その器が、なんでもない日々に 普通にそこにあり、人間の「生きること」を支えていること。

またゆっくりとお話したいです。

東北・関東の人たちは、今回のことで「強く」なりました、きっと。 

西の人々へ それはきっと そのうち伝わると思います。

そういう強い気持 この先に あらゆる「仕事」にあらわれてくると思います。

2011.4.2  祥見知生




お伝えしたいことはたくさんありますが。

少しだけ心を軽やかにして、明日に 希望を託しながら、

おやすみなさい。

被災地の皆さんの「明日」が 希望につながっている一日でありますように。

今は言葉にできない想いも、この胸の痛みも、無力感や絶望感も、そして何よりも「明日への希望」も
みんなまるごと「生きている証」です。

それを、これからの仕事に、生かしていこうと思います。

おやすみなさい。

明日の休日も、器とともに、朗らかに一日でありますように。

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