石田誠さんの器がなぜいいのか。。
こんにちは。
今日は、一日、久しぶりの休日です。
どこにも出かけることなく、朝から、ゆっくりと過ごしています。
器と一日、器と一年。
その一年も折り返しの6月を迎えました。
曇り空の鎌倉、6月7日。16時を過ぎたところです。
実は、とてもたくさん、皆さんにお話したいことがあります。
もちろん、器の話です。
もっともっと、私は、器の話をしたいのです。
ここに皆さんがいらっしゃったら、私の手もとにある器たち、たとえば村田森さんの三島、石田誠さんの南蛮、尾形アツシさんの刷毛目、小野哲平さんの唐津、吉岡萬理さんの赤絵、巳亦敬一さんの硝子・・・・・一つひとつ、器について
この子たちがどんなに可愛いかをお話することでしょう。
・・・しかし、それだけでは、いかんのです。
なぜ、いけないかというと、
器を伝えるうえで、この個体の器を『褒め上げる』ことでは到底届かないような、個人の話では、もうとっくにないような・・・というのでしょうか。
器というものを、もっと、多くの方に見ていただいたり、感じていただくために必要なことは何かと考えるに、
もっと、冷静な眼が、控えた言動(いやいや、これは無理ですね、きっと)が必要なのでは・・と、私は最近考えています。
では、どうしたら、器をもっと多くの方に見ていただけるのでしょうか・・・・。
石田誠さんの展覧会が、ひとつのアイディアを提示していました。
石田誠さんの器がなぜいいのか。
きっと、石田さんの、人を包むような優しさ、ほんとうに人間が持ちあわせなくてはならない大きな愛情が、そこにあるからだと思うんですね。
誰かを非難しない。「いけませんねー」と彼が何かに対してNOを言うときにも、決して、そのものを否定しない。
私はきのうから、むのたけじさんの『戦争絶滅へ、人間復活へ』(岩波新書)を読んでいるのですが、
この本に書かれていることを要約するならば、人と人が殺しあわずに相手を尊重し、どうしたら「絶対的な平和」へ向かうのか、その根幹にあるもの、見つめなくてはならないことはなんだろうか、ということなんです。
色々と引用していると長くなりますが、
そのなかに、むのさん自身のおじいさんの話が出てきて「すごくお人好しで、人を助けていた」「誰かが苦しんでいると黙っていられない」そういうおじいさんに、むのさんは「人間の持っている温かさ」を感じたと書いていらっしゃるんです。それも「核兵器のない世界へ」の章のなかで、さりげなく。
この、「人間の持っている温かさ」という表現、ずいぶん、使い古されて、ヒューマニズムの影で、何かと「悪者」扱いされてきたなぁ・・と思いませんか。
3月11日以降のテレビの、真実を隠蔽したマスコミの常套手段のためにも、つぶされそうになった、言葉です。(福島原発事故の真実を報道せずに、ただ上辺の「思いやり」応援合戦をしているような、お茶の間的な話題に終始していたテレビや新聞の体質へ、私も怒りを感じていた人間のひとりです)
しかし、わたしたちは、本当には、気がついているのだと思います。
「人間の持っている温かさ」というものが、本当に、あるということを。
石田誠さんの器にあるものは、それなんですね。
表現の違いがあっても、どの器にも、このことがある。
いま、誰もがストレスを抱え、誰もが優しさや強さを求めている時代に、器にできることは何か・・を考えるとき、
大変厳しい仕事の追求のうえに、生み出される器であると、私は信じます。
そして、その器には、しみじみと心に迫る美しさがあるのです。
石田誠さんの器には、その美しさがあります。
人を包む、「人間の持っている温かさ」への信頼を、器から、私たちは受け取ることができるのです。
NHKの朝の連続ドラマ「おひさま」、私も毎日、楽しみに見ています。
誰かが、ツイッターで、「この時代の日本はこんなにもあたたかく、優しかったのか」とつぶやいていらしたことがありました。
本当に、そうだなぁ・・・、きっと脚本家の岡田恵和さんも、この時代にあった日本の何か特別なものを伝えたかったのかもしれません。。。。でもね、それだけではないんです、きっと。
岡田さんが描きたかったのは、どんな時代にも、共通してある、「人間というものの愛しさ」ではないかと私は思っていまます。
つまり、ドラマの中といえども、あの時代にあって、いまにないもの、などないんだよ・・・という事。
今も、きっと、人の世は同じですよね。有史以来、実は、なんにも変わっていない。
ただ、人は、少しだけ勘違いして、文明の力を見誤ったに過ぎず、何よりも大切な、心をどこか遠くに置き去りにしてきたのだと思います。
しかし、実際にはいまも、わたしたちの周りには、「人間の持っている温かさ」がじゅうぶんにあるのです。
私は、先日、石田誠展の初日にNEARでそれを感じましたし、誠さんと一緒に多くを話していても、それを感じました。
何よりも、モノを言わぬ器から、ちゃんと感じている。それは事実・・なのです。
わたしたちは、その事実を、ちゃんと、受け止めて、大切にしなくてはなりませんね。
心から、そう思います。
器と一日、器と一年。
ゆっくりでいいので、そう信じられる毎日を、確かめるように、大事に過ごしたいです。
そういいながらも、私も、ときどき、「ああ、もう、何もかもいやになる」という事があります。
特に、『世間』というものを、垣間見たときは、強い拒否反応が出て困ります。
ふだん、テレビもあまり見ない生活、話題の場所には近寄らない生活をしているので、時々、「社会とのズレ」を感じて愕然とするのですが、
でもそんなときは、ふーと、深呼吸して、好きな器で、あたたかな紅茶などをいただきます。
そうすると、あまりほかの事は気にならなくなります。器の効用ですね。
その器たちの、なんて、頼もしいことでしょうね・・・・
あ、やっぱり、最後は、「うちの子自慢」のようになりました(笑)。
周りにどんなに絶望があっても、なんとかやっていける。そういう日々でありますことを。
器がどうしたらもっと手渡っていくのか・・・・きっと方法は多々あるのでしようが、
それでも、地道に、信じる器を、一つひとつ手渡していくしかない。
むのさんが生涯をかけて言われる「戦争絶滅、人間復活」は、
私にとっては、器を手渡していく仕事と深くつながっています。
そのことを、この日記を読んでくださっている皆さん、
うつわ祥見の展覧会で器を手にされた皆さんが、心のなかで、きっと頷いてくださっていると、感じます。
今日も、夕暮れの時間を迎えました。
取りとめもないことを、毎回、最後まで読んでくだって ありがとうございます。
・・・まだまだ、話し足りないのですが、今日はこのへんで。
今日は久しぶりに、時間をかけて、家族のための夕食を作ります。
まずは心をこめて、米を研ぎ、美味しいごはんを炊くことにいたしましょう。
皆さんも どうか お元気で。
毎日の時間を大切にされてください。
石田誠さんの「まことマコトMACOTO展」は6月13日まで。
鎌倉駅より徒歩4分のonariNEARで行なっています。
タイルも、紅毛手も、南蛮焼締も。不思議な魅力、手にされたらわかると思います。
ぜひお出かけになり、ゆっくりと器を手に包んでください。