人々が行きかう橋のある街・松本・・・・・
こんばんわ。
日曜日がもうすぐ終わろうとしています。
今日は、痛めた足をかばいながら、一日、なるべく安静におりました。
そういう日、ぼんやりと、色々と考えてしまうんです。
今日は松本について、考えていました。
松本。
松本の街。
今年の5月。先日久しぶりに訪れた際、ああ、いい街だなぁ・・と思いました。
歴史のある橋が、短い間隔であるのです。
川が流れている街。久しぶりに訪ねた松本の印象でした。
鎌倉に住んで何か物足りないと思っているのは、市内を流れる川、橋がないことだと、感じていました。
海があるだろう・・と言う方がいるかもしれません。
でも、川にかかる橋は特別なのです。なぜなのかはわからないけれど、
やはり、理由の一つには・・・人の暮らし、人の営みなのではないかと感じています。
人々が行きかう場所、暮らしのなかにある風景。
食べ物を運ぶ水路。
大事な人を見送る橋。
果てしなく、朗々と、瑞々しく、生きていく人の、まるで歩く場所を導くような・・、さまざま人の生きるを支えるようにかかる橋がある。
松本市をぶらりと歩いていて感じた、清らかさは、街を見守るようにある山の蒼さと、絶えず流れる川の清らかさにあるのかもしれません。
昔むかし僕が夢を美しいと信じた頃、夢より美しいものは世になかった。
しかし夢より美しいものが今日僕をとりかこんでいるといったなら、
それはどんなにしあわせだろうか。信濃高原は澄んだ大気のなかに、
そばが花咲き、すすきの穂がなびき
遠い山肌の皺が算へられ、そのうへ青い青い空には、
信じられないやうな白い美しい雪のただずまひがある。
わづかな風のひびきに耳をすましても、
それがこの世の正しい言葉をささやいている。
詩人・立原道造の言葉です。。
展覧会TABERUで大貫妙子さんに記念ライブをお願いするとき、
どこが、その音楽の場所にふさわしいだろうか、と考えました。
そして、直感で思いました。
信州の松本、音楽の街、そして、清らかな水が流れる松本のほかに、
大貫さんの「歌う場所」としてふさわしい場所がほかにあるだろうか・・と。
ちょうど、私が 高知県立牧野植物園で開催中だった『樹と言葉展』の紹介する記事を
雑誌『住む。』に書いた同じ号に、木工作家の井藤昌志さんの作られたギャラリーが紹介されていました。
井藤さんとは、東京・馬喰町でお目にかかったことがあるのです。
馬喰町ART+EATのテーブルや椅子は、井藤さんの作品です。
井藤さんにお電話をすると、「すぐにやりましょう。実はボクも、器の展覧会をお願いするならショウケンさんだと、ラブコールを送ろうとしていたんです」
お互いに、片思いではなかった・・・ということを確認できた時は、とても嬉しかったです。
明日は、もっとくわしく、信州で初めての器展、そして記念ライブについて、この日記でお伝えしたいと思います。