TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

 褒美のような10月に・・・。 上 

こんばんわ。

久しぶりの日記です。

まったく、どこから、書いたらいいのでしょうか。

間(あいだ)が開くにもほどがある。このまま、この日記は消えていく運命なのか・・とも思います。

それにしても、10月は忙しい月でした。。(毎度のことですが)

この10月は、毎日が、もう、ジェットコースターに乗って キャーキャーと騒いで、
はしゃいでいるような毎日がずっとずっと続いておりました。

毎日毎日。

本当に、いきいきと楽しかった。

実はこの夏はとても悲しい出来事があったのです。

大切な人をひとり、なくしてしまいました。

わたしは途方にくれて ひとりで、悲しみをかかえて いました。

しかし、きっと・・・。この悲しさもきっと、時間が解決してくれる。そう思っていました。

そして10月。

スケジュールはもういっぱいです。

毎日毎日、スケジュール。

10月の展覧会のNEARの酒器展では、初めてお付き合いする作り手の器が届き、充実した展覧会になりました。

詳細は、NEARのスタッフ日記に写真で紹介していますが、

いま、酒器が売れない・・という時代と聞きます、うつわ祥見としては、初めて取り組んだテーマであり、
この器たちの奥深さを思うと、また次回、丁寧に時間をかけて 続けて行なっていきたいと思っています。

初日の夜に行なった「器と酒器を愉しむ」では 多治見の横山拓也さんのセレクトによる日本酒とともに、器と美味しいものをいただく会があり、
私自身も、NEARの空間で出席された皆さんとともに、愉しむことができました。
プライズに、西荻窪ののらぼうの「玉子焼き」を特別に持参してくださったKさん。本当にありがとうございました。鎌倉でいただく、のらぼうの玉子焼き、せつないほど美味しかったです。

そして翌日は、仙台で行なわれた「器のチカラ わののわ」へ。夕方会場につき、コーディネートされた日野明子さんに皆さんを紹介いただき、
トークイベントにも参加させていただきました。

このイベントは、以下のような、こころを込めて開催された とても 素晴らしいイベントです。ホームページから転載させていただきますね。


「借りものでも間に合わせでもない、自分専用のうつわがあることでこんなにも心が癒されるのだ」

どうやら、うつわには特別な力があるらしい。

うつわの力で被災した人を元気にできないだろうか。
うつわによって気持ちが救われる人もたくさんいるのではないだろうか。


「借りものでも間に合わせでもない、自分専用のうつわがあることでこんなにも心が癒されるのだ」
わたしたちは今回の震災でたくさんのものを失いました。
大事な家族や友人、住み慣れた家はもちろんのこと、小さくともかけがえのない思い出の品々も。
その品々の中には日々使い続けていたうつわも数多く含まれていました。
しかし、命が助かったのだからうつわを失ったという些細な出来事は胸の奥に閉じ込めて、
悲しみを忘れてしまおうとしていました。
被災地では、うつわのことどころではない日々が続いていたことは確かです。
しかし本当に「うつわどころではない」と切り捨ててしまってよいのだろうかという
疑問が湧きました。
うつわには人の気持ちを悲しませたり、喜ばせたり感情を揺り動かす何かがあるのかもしれない。
そうでなければ、ただの「もの」であるはずのうつわが割れてしまったことで、
こんなにも多くの人々が悲しむはずはないのです。
馴染みのない街で避難生活をする中、自分専用のうつわがあるだけで
心がほっとするのはなぜなのでしょう。
どうやら、うつわには特別な力があるらしい。
うつわの力で被災した人を元気にできないだろうか。
うつわによって気持ちが救われる人もたくさんいるのではないだろうか。
震災後、多くのものを失い何も手に入らない生活を初めて経験しました。
今まで当然のように感じていた幸せがとても尊いものだと知りました。
人の血が通った品物を、自分で選んで手に入れることの喜びをこれほど感じたことはありません。
この思いを何らかのかたちにしたい。元気をなくした被災地に届けたい。
様々な人の協力のもとに「うつわのチカラのわ」は生まれました。
日本全国のうつわにかかわる人たちの「チカラ」が「わ」になりつつあります。
仙台だからできること、仙台にしかできないこと、うつわだからできること、
うつわにしかできないことがきっとあるはずです。
小さな「チカラ」かもしれませんが、それが「わ」になれば、大きな「チカラ」に変わるかもしれません。
仙台から「うつわのチカラ」でたくさんの「わ」を作り、長く長くつないで行きましょう。
   
 
うんうんうん、何度も頷きたくなる言葉です。

私は実際に伺って、スタッフの皆さんの熱意にも、そこに集った作り手の皆さんの心意気、手のチカラ、器のチカラ、人と人が繋がることの素晴らしさを感じました。

初めてお目にかかった笠間の額賀さんが私のツイッターをフォローされていたことにも驚きました。ふたりがその後、打ち上げの席で、携帯の「赤外線通信」でメールアドレスを四苦八苦慣れない手付きで交換している様子は「まるで合コンのようだ」と笑われましたが、本人たちは汗をかきかき・・・。無事終了したのに、まだ携帯でメールの一つもやりとりしていません。いつかメールをやりとりする日が来るでしょうか。。

でも、笠間チームの皆さんと、夜半にわたって、器の話をできたことは、大変嬉しい時間でした。

これから、新しい動きが生まれてくるような、そんな予感がいたします。

器のチカラで、つながってつながって、新しい風を吹かせられたらと思います。

それから次週に「毎日、どこにいるの?」という旅人となった、四国中国5泊6日の旅が始まりました。

正確には訪れたのは、高松、高知、広島です。

連日、新しい出会いがあり、発見があり、これ以上に充実した時間は二度とないのでは・・・と思える濃い時間を過ごしました。

ギタリストの小倉博和さんご夫妻の案内でめぐった高松の旅は、うどんと、音楽と、街と・・・。

出会う方皆さんの気持ちの朗らかさに、高松がいっぺんに好きになりました。

うどんツアーで、どのお店も、それぞれに、心意気というか、当たり前の「本気さ」を感じ、心打たれました。

香川県人毎日うどんを朝から食べている・・という逸話、私はどこか信用していなかったのです。

でも、本当でした。

そして、仕組みが少しだけ理解できました。 高松のうどんやさん、朝から、畑の真ん中のような立地で営業している店は、正確には「麺やさん」なのですって。それをその場で食べたいというリクエストで、茹でて、提供し、「その場で食べるなら、出汁もだそうか」「かき揚とか、つけよか?」みたいな「親切心」から始まったらしいです。すごいですね。

私はそんな話をお聞きしながら、朝から3軒の観光大使の小倉さんお勧めの「キングオブうどん」各店のうどんをまわり、 午前8時から10時までの二時間で、すべて残さず食べました。高松滞在の2日半で、食べたうどんはいったい何玉になるのだろう・・と思いながらも、この素晴らしき「うどん道」は始まったばかり・・・と思っていました。

最高のもてなしをしてくださった小倉さんと、小倉さんの素晴らしいご友人の皆様に感謝申し上げます。有難うございました。

なんと言っても、零時をまわって、私の誕生日となった夜に、小倉さんがギターでパースディソングを演奏してくれたことは一生の思い出となりました。

そして、ツイッターで深夜にそのことを「つぶやいた」とたんに、
十何通を超えるお祝いのメッセージが一斉に寄せられたことは、驚きとともに、嬉しかったです。幸せな夜でした。

さて、それから・・・ 高知。

早川ユミさんの12月発売の『種まきびとの台所』撮影立会いで高知へ。外は大変な雨降りの一日でしたが、夜は、10月生まれの誕生日会をしていただき、ホールのケーキをご馳走になりました。

夜は、哲平さんユミさんと三人で「ものつくり」の話を深夜まで。多くの時間を会話に費やしました。

翌日には列車に乗って、高知をあとにし、瀬戸大橋をわたり、岡山経由で広島へ。

さらに電車で一時間ほど進み、自然豊かな場所で織りの仕事をされている方の工房をお訪ねしました。野菜たっぷりのごはんと、心からのもてなし。
響きあう気持ち、丁寧に生きていくことの大切さ。わかちあう平和への願い。色々なことを感じる時間でした。

旅を終えて、鎌倉に帰宅してから、

カメラマンの大社優子さんから連絡をいただき、「鎌倉で、ショウケンさんの誕生日会を」と、お誘いをいただきました。

「ショウケンさんのために作った曲を、披露したいので」と。

大社さんは、イチカワヨウスケ君の新刊『「なると屋+典座」の野菜をいただく」のカメラマンであり、鎌倉在住の音楽家でもあります。

その旦那さまが、私の誕生日のお祝いに、歌を作ってくださったというのです。

それは本当に、特別な、特別な夜でした。

これ以上、いっぺんに紹介するのは、もったいないのです。

明日は、その特別な鎌倉の夜で、披露してくださった、歌の詩を紹介させてください。

私の誕生日のために作ってくれた歌、じんと来る歌でした。器を好きな皆さんに、ぜひ、紹介させてください。


器を伝える仕事をして生きてきた私に、10年を前にして、ご褒美をいただいたような、そんな気持ちです。

実は、これから、デザイナーさんと打ち合わせで、ちょっと出かけてきます。

ではまた。。。明日に。

つづく・・・(日記がつづくというのは、初めてのことです)