TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

「日々」の始まりに。


新年明けましておめでとうございます。

お正月を、ゆっくりと鎌倉で、過ごしています。

元旦は、頭を真っ白にして、あえて何も考えずにおりました。

そして一夜明けて、この静かな時間に、
ふだん頭のなかで ぐるぐると考えていることを、言葉にしてみました。

10年の節目の年、

多くの方に支えられて、これまで器を伝えてこられました。

こころより感謝を申し上げます。

ありがとうございます。

昨年暮れ、10年の節目の年に向かって展覧会を「組んで」いるときに、
実は、自分のなかで、どんどん心が沈みこんでいくことを感じていました。

不思議ですね。

傍から見たら、順風な仕事が、わたしのこころを沈める。

何を見ているのか、どこを見ているのか、
大きな目、遠くを見る目・・

わたしは誰と、あるいは、何と、対話を繰り返したらいいのか。

そう思っていたのだと思います。

そして・・・。

そして、思います。

自分のなかの「真」にむかって、わたしは仕事をしていると思う。

厳しいとは、他人に向かって 発することではないのです。

人であるという自明なこと・・・
その「人であること」と同じように
わたしの前には仕事があります。

それを どれだけ 目をそむけずに かたちにしていくのか。

問われていると思う。

ときおり、わたしは 作り手に向かい、厳しいことを言います。

言わずに にやついていては 何も かわらないと思うから。

重いでしょう。

重いのです。

器を作る、伝える。 この仕事は「終わりなき旅」だと思う。

もちろん、「伝える」ために、つまりは、もっと人に見ていただくために何が必要なのか。四六時中考えます。

よく「仕掛けて」などといいます。

確かに「仕掛ける」ことが必要なのかもしれない、と思うこともある。

もちろん、有効な「働きかけ」もあるでしょう。

すべては器のために。すべては器を伝えるために。
そう思えば、この時代、いくらでも、「やりよう」はあるでしょう。

しかし、その労力をかける時間を、淡々と
わたしは作り手と向き合うことに、より時間を割いていきたいと思う。

向き合うことで、ほんとうのことを言おうと思う。

ほんとうのことを言うのは、勇気がいります。

こわいです。ほんとうに。

でもね、いままでもそうでしたが、
これからも
厳しくあらなくてはならないと思う。

そのために、体力が必要なのです。



ここからは、必要なものは、ごくわずかだと思う。

清潔なタオル。
寝床。
風呂。
からだを包む衣服。
音楽。本。
土のついた野菜。

光が必要で、土が必要。

そして、手が必要だと思う。

そして、何よりも、こころが必要なのです。

生きるために。

こころとからだを守るために
食べることが、必要です。

食べる道具として、
いまほど、器が、必要な時代はないと思う。


震災後、さまざまな「ひずみ」が明らかになりました。

しかし、こんにち、日本は、あまり変わらないように感じます。

大晦日。ETV特集原発がとのように作られてきたのかのドキュメンタリーを見ましたが、

この根は想像以上に深いです。

戦争もこうして繰り返されてきたのだと思い当たります。

人はどこに向かうのか。

わたしは、より、リアリティのあることを信じていきたいと思う。

「器とは何か」。

そして、余計な言葉もなく、
ただ「器」であることが、
名もなき、この「器」というものが、
無垢な光を放ち、この小さな存在が、生れ落ちたことを喜びたい。

淡々と、厳しさを。

仕事をしていきたいと願います。


皆さんにとって、本年が 幸いに満ちた一年でありますように。


一年の始まりに。 日々のはじまりに。


本年もどうぞ宜しくお願いします。


2012.1.2  祥見知生