チェンジ。 吉田直嗣展によせて
こんばんわ。
NEARで開催中の吉田直嗣さんの「LIFE展」。
初日はよいお天気に恵まれたものの、土曜日の今日は 鎌倉は朝から強い雨の降る一日となりました。
大雨の一日、覚悟を決めておりましたが、終わってみると、一度ものんびりできる時間きないほど、訪れる方が途切れることなく、多くの皆さんにお出かけいただき、器をご覧いただきました。
嬉しい限りです。
お出かけいただいた皆さま 本当にどうもありがとうございます。
展示の様子は、NEARの日記に写真入りで掲載しています。
私はこの場で書きたいと思うのは、
吉田直嗣さんの器がなぜ素晴らしいのか、について。
むしょうに書きたくなりましたので、少しの時間、集中して書いてみますので お付き合いください。
吉田さんと出会ったのは、『うつわ日和。』の取材で、青木亮さんの薪窯の窯焚きに泊り込みで参加した時に遡ります。
黒田泰蔵氏の弟子であった吉田さんは独立直後だったのかもしれません。
その後しばらくして、うつわ祥見に器を持っていらしたのです。
「師匠が白磁の作り手だったので、自分は白は作らないんだって」とそんな言葉を青木さんからお聞きしたような気がします。
その言葉通り、当時、吉田さんは「自分は黒で行く」と話し、熱心に、鉄釉の黒をいかに引き出すかの仕事をされていました。そして当時から、独特の形、シャープさ、ラインの美しさが際立っていました。
それから数年過ぎた頃でしょうか、時を経て、お茶の友人との展覧会に「初めて白磁を作った」という話をお聞きし、現物を見るのをとても楽しみにしていました。
私はその時の白磁を見てまだまだ先へ目指される吉田さんのある「決意」のようなものを感じたのです。
そして去年、震災の直後のことでしたが、NEARで行った「LIFE BASE展」において 見せていただいた白磁には、もう何もかもを内包し、自分のなかに取り入れたものを もう一度、リセットして外側に押し出したような、何か解き放たれた自由さを感じ、ますます、吉田直嗣という作り手の作り出す器に魅力を感じました。
こうして書くと、大げさのようですが、
「見るたびに、器が確実に進化している」と感じられるなんて、本当に素晴らしいことなのです。
そして、吉田さんの場合、その「進化」の度合いが、凄まじいのです。
「もっと先へ、もっと良い器を」それをしつこくしつこくやり続けるのが作り手の仕事であり、
吉田直嗣さんという器の作り手は、そこをまさに「しつこく」やり続けている作り手です。
それは器を見たらわかります。
鉄釉の黒の単色ではない豊かさ、深い深い色。
ちょっとした器の淵の立ち上がりの力強さ、美しさ。
品格や機敏という言葉が浮かんでくる轆轤の切れ味。
器を作ることが、いかに、「そこにあるものすべてを使う」仕事であるのかが、一枚の器から「聴こえてくる」のです。
つまりは五感を研ぎ澄ましている作り手と、そうでない作り手の器の決定的に違うものは何かを、私は思わずにいられないのです。
誤解を恐れずに言えば、展覧会とは、ある意味、恐ろしいものです。
器全体から伝わっていくる、感じられるものは、絶対的に人に「わかってしまう」のですから。
今回の吉田直嗣さんのLIFE展において、伝わるのは、作り手の見事なまでの情熱でありましょう。
ご本人もそうおっしゃるのですが、小さなマイナーチェンジをくり返し、吉田さんの器は確実に進化しています。
出展の器の、白磁にはたとえば4つの種類があります。焼成の方法、釉薬の配合、その組み合わせ。どれも細かく見ると、そこにしつこく迫ろうとした仕事の「跡」が見てとれるのです。
一筋縄ではいかない仕事を淡々とこなしている、その「マイナーチェンジ」の素晴らしいこと。
ごくわずかなマイナーチェンジと、ご本人がさらりとおっしゃる「チェンジ」には、深い意味があります。
その「チェンジ」の密度の濃さこそが、この作り手の凄さの真骨頂です。
そして、今回のNEARに寄せられた器のうち、一客の小さな器にもまざまざと感じられる作り手のプライドやプロの意識の高さには、正直、私も、身震いしました。
展覧会二日目にして、記憶に残る展覧会であることを皆さんにお伝えしたいと思います。
姿勢を正して、器と向き合うということが、日々のなかで、どれほど気持ちよいものでしょうか。
料理を盛って、さらに、美しくなる器たち。
その「役目」を知る、器たち。
ぜひ、この機会に、吉田直嗣さんの器をご覧ください。
できれば、ゆっくりと、いらしてください。
美しさ、うつくしさという言葉を、もう一度、考える機会になるのではと思います。
吉田直嗣 LIFE展は 3月26日(月)まで開催しています。
DMには20日火曜日は定休日のためお休みとありますが、祝日ですので、器をご覧いただこうと思います。
ぜひお出かけください。