TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

 カーネーションと、日常と、めし碗展。

こんにちは。

鎌倉は曇り空です。

朝はここのところ「カーネーション」を観ています。

朝の連続ドラマで、このクオリティ、毎朝、文字通り「唸って」過ごしてきました。

その「カーネーション」が明日が終わります。

毎回、最終回はどんなふうに終わるのだろうな、脚本家の渡辺あやさんはどんなふうに「終わらせるのだろうな」と考えていました。

たぶん、主人公の「小原糸子」の死を描くだろうな、とぼんやり想像していました。

私がこの「カーネーション」で印象に残っているシーンは、戦中の話です。

酷暑の続く大阪・岸和田で、終戦間近の「日常」を丁寧に描いたシーンです。

糸子の夫も戦地へ、そして最愛の父も亡くなって、正真正銘、彼女が「小原家」の大黒柱として、
食料もなく、いつ何時空襲が襲い掛かるかわからない、そんな、「非・日常」の毎日、
つまり、戦時下の過酷な「日常」を、このドラマは、「暮らし」の目線で描いていました。

糸子の名は、「糸がどんなときも役に立つように、一生、糸で食べていけるように」と名づけられた名です。

そして、戦時下にも、その名が役に立つのです。

闇市でもなかなか食料が満足に入らない時代、丁寧に縫製した綿の下着をお百姓さんに届けて、
新鮮な野菜と「物々交換」し、一家の柱たる糸子は、従業員のお針子さんを含む大家族の食料をなんとかかんとか手に入れるのです。

そして、自転車でふらふらになりながら、町なかから避難させた子供と母のもとへも自力で届ける。

そのシーンが繰り返され、糸子の心も身体も、だんだん疲労していきます。

夜は空襲警報がなれば防空壕に避難し、昼間はふらふらになれながら家族のもとへ食料を運ぶ。

思考能力は皆無ににり、夫の戦死の通知にも、彼女の心は反応できなくなります。

でも、毎日は続いていく。酷暑、食料の調達、仕事、夜の空襲警報・・・。

もちろんドラマはドラマです。「リアル」などとは形容してはいけないのでしょう。

でもね、あの視線は確かに 「暮らしのまなざし」から「戦争」という非日常の「日常」を感じさせるものでした。

国が何かの大義のために戦争を行っている最中に、闘っていたのは戦地にいた人ばかりではない、
軍人ばかりが闘っていたのではない、女子供、老人、生まれたての赤ん坊もまた、日々、闘っていたのです。

「食べる」というもっとも、大事な場所で、女も子供も、皆、戦っていたのです。


私は、バブルに浮かれた日本の姿に、絶望した「性質(たち)」のひねくれた人間です。

頼まれもしないのに、豊かさとは何かを、四六時中、考えて、いまもときどき、勝手に絶望して、落ち込みます。

大人になってからというもの、世の中にあふれる「これが流行ですから、
追いついてくださいね」的な大量消費のしくみに馴染めず、いつも「え、」と立ち止まってしまいます。

「え、」と思うようなことに出会うと、
それは変でしょう、変じゃないのですか? そうですか、変だと思うこちらが変なのですね、
そうですか、でも変だと思うんだけれどなぁ・・・と思うのです。

そして「ああでもない、こうでもない」とぶつぶつ小言を言ってきました。

たぶん、こういう「小言」を言いながら、違うんじゃないのぉ、と、歳を重ねていくのだと感じています。

でも、その「小言」は、自分への戒めであり、

「言いたいことがあるなら、仕事で見せなさいよぉ」という戒めとともに、ありたいと思います。

「ごはんを食べる」っていうことには、いつの時代にも「闘い」も「寄り添い」も「愛情」もあります。


さてと、長くなりました。

国立新美術館地階 SFTギャラリーで「MESHIWAN 贈る器」展が初日を迎えています。

17名の作り手の「めし碗」がずらりと、会場に並びました。

作り手の皆さんの力の入っためし碗たち、眺めて、手に取り、手に包み、
横から見て、また、組み合わせを考えて・・・とくり返していると、あっと言う間に時間が過ぎていきます。


美術館地階のギャラリーということもあり、美術展帰りの方が多く来場されています。

私は初日の午後、会場にいて、
セザンヌ展」の帰りのご夫人ふたりが「いいわね、楽しいわね」と
会話を楽しみながら器を見ていらっしゃる様子を拝見して、なんとも嬉しく思いました。

5月までの長丁場の展覧会です。

一客ずつ表情の違う器たち、器の後ろにある名前を照らし合わせて、見るのも、また、楽しいのではと思います。

この会場ならではですが、作り手のフルネームと器名が記されたバーコードが貼っています。
最初は、その小さくもない「紙」が、馴染めなかったのですが、それも「アリ」と考えてみると、
この小さな紙が「親切」な案内になっていることに気がつきました。

器の後ろにあるバーコードに、フルネームと、そして器名・・・とさらりと書きましたが、
これは、要するに、作家がその器を「どういう名で納品したか」ということなのですから。

そうやって見ると、面白いでしょう。


器の表情、釉薬の溶け方、かかり方、轆轤、かたち、高台の削り方、焼き具合、見込み、手どり・・・

器にはさまざまな見所があります。


ぜひ、この小さな手に包まれる器たちの「見どころ」を見逃さずに、ご覧になってください。



今回は什器は、鎌倉・御成通りにある イヌイットファニチャーがオリジナルの家具を作ってくれました。



壁に取り付けた3つの箱は、足をつけることも可能な、器を収納する家具の提案となっています。

もうご覧になられた方は、戸棚のレールのために施された二本の線の美しいことに、気づかれましたか。



私は、この二本の線の美しさに感動しました。

「なんでもないものの美しさ」がありました。

器の作り手の皆さん、そしてイヌイットさん、最高の仕事をしてくださったことに、感謝しています。


3月、震災から一年が経った、この時期に、

日本の原風景である田んぼから生まれる「米」に、心を寄せて、食べる道具である「めし碗」を。


めし碗という、美しく、素朴な、食の道具を、ぜひゆっくりとご覧ください。



これから待ち遠しかった季節がやってきます。

桜もそのうち、開花して、変わらずにわたしたちの「日常」を彩ることでしょう。

ぜひ、ゆっくりと、この時間を慈しみたいものです。



MESHIWAN 贈る器

3月28日(水)〜5月21日(月) 

出展作家

浅井純介 石田誠 尾形アツシ 小野哲平 小山乃文彦 
掛江祐造 亀田大介 寒川義雄 郡司庸久 田村一 寺田鉄平 鶴見宗次
 額賀章夫 村木雄児 村田森 横山拓也 吉岡萬理


国立新美術館地階 SFTギャラリー 

東京都港区六本木7-22-2 国立新美術館B1  03-6812-9933
10:00-18:00 (金曜日のみ20:00まで)
毎週火曜日定休(祝日又は休日に当たる場合は開館し、翌日休館)

http://www.souvenirfromtokyo.jp/gallery/




4月は、札幌で吉田直嗣さんの器展、鎌倉では尾形アツシさんの個展、月末には京都で「春のどんぶり展」など、
展覧会が続きます。

どうぞ、お訪ねになり、器をご覧いただければと思います。

くわしくは、うつわ祥見のホームページをご覧ください。

実は明日は高松の「まちのシューレ」で 小野セツローさんの展覧会へ伺います。

セツローさんの83歳の誕生日に初日を迎える「小野セツロー スケッチ83展」で、
トークイベントの聞き手として、セツローさんのお話を伺います。

久しぶりにお目にかかるのを楽しみにしています。

トークイベントは予約でいっぱいのようですが、会場ではセツローさんとお話になれることでしょう。

ぜひこちらもお出かけください。

http://www.schule.jp/



4月7日には、吉田直嗣さんのトークイベントもあります。

こちらは、最近さらに、力のある仕事で存在感を高めていらっしゃる吉田直嗣さんとともに、日々の器についての話をいたします。

鎌倉でもめったにしない「作り手との話し会」です。
昨年は同じ会場で村上躍さんと行いましたが、ふだん聴くことできない作り手の話を、わたし自身も興味深くじっくりと聴くことができました。

北海道の皆さま、ぜひ、使い手の皆さんばかりではなく、作り手の皆さんにも、ご参加いただければと思います。

吉田直嗣+祥見知生 「日々の器」について話をします。


http://www.kitanosumaisekkeisha.com/shop/event/yoshida.shtml 

日時:4月7日(土) 16:00〜17:00
参加費:1500円 (吉田さんの器で楽しむお茶とお菓子付き)

定員:20名

ご予約、お問い合わせは、GOOD NEWS Sapporo
TEL 011-859-1220

ぜひ、ゆっくりと、器に会いにいらしてください。

どこでお会いできたら、わたしの「小言」も、ぜひ。

朗らかに今日も参りましょう。


明日のカーネーション、どんな最終回であれ、私は、楽しみに待ちたいなと思います。

「あんたも、自分の人生、人の目なんか気にせんと、いっちょき、やっちゃれ」ですからね、皆さん。