TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

小野哲平展によせて 『DVDブック うつわびと小野哲平 』あとがき 掲載

生きていると、毎日、生まれてくる言葉があります。

そのとき、その瞬間の気持ち。

それは、毎日空に浮かんでは消えていく雲のように、とらえどころのない「かたち」をしていて、ひょいとつかみ、手元においておくこともできないものです。

でも、言葉が、ひとつひとつ生まれてくるのには 理由がある。

子供がお腹が空いたと泣くのも、あれは、言葉なのです。あれがほしいと駄々をこねるのも、言葉なのです。

言葉はお節介で、気ままで、ときには、誤解をされ、足をすくわれたりいたしますが、それでも大事なのは、「ほんとう」であること、心から真実であることではないか、と日々思って暮らしています。

さて、こんな書き出しになりましたが、

みなさん、お元気でいらっしゃいますか。



onariNEARでは6月22日〜30日まで高知在住の小野哲平さんの展覧会「小野哲平展」を開催いたします。

この展覧会によせて、うつわ祥見の小さな出版物「TABERUBOOKS 」では『Teppei book』を刊行することになりました。

高知県の棚田の広がる山あいに工房を構え、器をつくる小野哲平さんの工房を訪ね、撮影したのは鎌倉在住のカメラマン大社優子さん。



20ページほどの小さな冊子です。


この写真のなかで、わたし自身何度も数えきれないほどお伺いした工房のある、高知県の山あいの棚田の風景に、何か短い言葉を書こうと 試みたのですが、

どうしても、その写真に、言葉を添えることができませんでした。


もちろん、「言葉」は生まれてくるのです。しかし、その言葉を写真に載せることはできない。

しばらく、写真とにらみ合いを続けて、ここは余計な言葉を添えるのはやめよう、と思い、そうしました。


その写真は、大社さんが、棚田の朝の風景をとらえた美しいものでした。

遠くに太平洋が望める山あいの集落。雲が眼下に生まれてくるのが見えます。

わたしはその風景を何度も実際に見てきましたし、小野哲平さんはここに暮らし、毎日、この風景を目にされて、仕事を続けているのです。

小さな冊子づくりで写真の大社さんとやりとりを進めていた時間、とても短い時間でしたけれど、ふと、かつて制作した『DVDブック うつわびと 小野哲平』を手にしました。

掲載されている「あとがき」を読みました。

いまはもう手に入りにくくなった一冊です。 

2006年、強い想いだけが先行して一年間 高知の山に通い、薪窯に向かう姿を追いかけた当時のことを 思い出します。

ツイッターフェイスブックもない時代です。

この本の存在など知る人は本当に少ないですし、実際に手にされた方はごくわずかな方でありましょう。

だから・・というわけではないのですが、

「あとがきにかえて」と題したこの文章を、もう少し多くの方に読んでいただきたい、といまの私が思うのです。



小野哲平さんからは先日、メールが届きました。



「お疲れさまです。
 梱包 終わりました。
 作品数は399点。
 (この地に窯を構えて) 30回めの窯、渾身の仕事です。
 今回は、窯たき直前に窯の天井が落ちているのがわかり 
 職人さんを急きょ探して直してもらって 若い子たちに助けてもらい
 なちおのごはんに力をもらって、一仕事できました。感謝です。」 



本来、隔年で展覧会をお願いするのを、「哲平さん、いまこそ、東で、もっと展覧会をやるべきじゃありませんか」と伝えて実現する展覧会です。

震災後の日本で、言葉に真実が必要とされているように、食の道具である器に求められているものはなんでしょうか。

ぜひ、土の器に会いにいらしてください。DMの鎬の器は新作です。薪の仕事をぜひご覧ください。


小野哲平展 
2013年6月22日(土)〜6月30日(日)
初日22日 小野哲平さんが在廊します。



このあと掲載する文章のなかで、以下の一文は、当時、わたしが取材を通じて、土の器を身体で学んで言葉にしたものです。


器は土と、火と、そして人の手から生まれる。器は食の道具であり、食はわたしたちの心と身体を作るものだ。

土や火という生命のもととなるものの力が結びつき、器を作る。そうして作られた器は「食」を通じてわたしたちを支えている。

中略

・・・・・さらには土や火という生命のもとになるものをこの手に包むことができる。



少々長いと思いますが、ご一読ください。

                                                                                                                                                                                                                  • -


DVDブック うつわびと 小野哲平
あとがきにかえて


器を手にとり、その重さ、手触りを確かめる時、わたしは器を見ているようで実際は特別な何かを見つめている。特別な何かはいつも器の奥に沁みこみ、こちらをじっと見ている。

もちろんそんな感覚はどんな器にも起こるのではない。使われて水分が土に吸着し、また乾き、また使われ、人の手がちょうどよくなじんだ頃、器は出合った時よりもさらにその存在の大きさを広げている。
色やかたちを超えて迫ってくる。迫ってくるものとはなんだろうか。
今回のインタビューで、その目には見えないものについての話を掘り下げてみたいと思った。
器の技法釉薬の種類を細かに訊ねることはしていない。それよりももっと器の成り立ちのもととなる話を聞くことに時間を費やした。
話はおのずと現在にいたるまでの道のりが中心になった。
1980年代後半、日本がバブル経済に浮かれていた時代、小野哲平は苦しんでいた。
器を作りそれをお金に変えることに疑問を感じていた。「土を触り手は器を作る。けれど何のために作っているのか」。器を作る意味を探してもがいていた。
独立してまもなく彼は生まれたばかりの赤子を連れて旅に出る。
タイやインド、ネパールなどアジアの国々を旅する。民の力で国を変えようと、生きるための芸術活動をするアーティストと出会う。
そして、各国で土を触り器を作った。旅は長く8ヶ月におよんだこともある。
日本の拠点であったやきものの街・常滑で器を作ることを「日本に出稼ぎにきていると思うと楽だった」と当時を振り返り、そう語る。
しかし、彼の心の拠りどころであったアジアへの旅はこどもの成長・就学とともに思うように動けなくなる。身動きがとれなくなっていった時、彼は日本で自分の場所を作ることを決意する。
そうして巡りあえた土地には古くから残る石垣があった。石垣は人の暮らしの智恵、棚田で米を作る人々が住む美しい集落の、生きる根っこである土を支えていた。
はじめに工房を建て次に母屋を建てた。そして3年の歳月をかけて薪窯を作った。

移り住んで9年が過ぎた年、一家は頭屋(とうや)の役目を担った。
頭屋とは、集落にあるいくつかの神社で行われる祭の世話役のことを言う。
たとえば宇賀祭の神は、穀物を主宰する宇賀之御魂神を主として、土の神、火の神、風の神、水の神らを祭り、祭壇には、土や水、火、五穀、絹、綿、麻などを調え、御飯、御酒そのほかの供え物をする。
頭屋は祭主をつとめる神職のお世話をし、村人にも料理をふるまう。
祭は年に数回にわたって行われ、そのたびに頭屋の小野家は大忙しだった。
頭屋の仕事について話す時、彼はなんとも気持ちよさそうな顔をする。頭屋の役割を通じて、彼はこの地がより好きになったのだ。

本来ものづくりをする人間はあまり多くを語らないものだ。彼らは作品を作ることで自分の考えを伝えている。自分が美しいと思う尺度でものづくりをする。
そして作品を通して世の中にものを言っている。
自分が前へ前へと攻撃的に己を示すことで表現してきた時代を経て、彼はいつしか暴力では何も変えられないことを知った。
そして叙々に器にこめるものは使う人が穏やかな気持ちになってくれたらという思いに変わってきたという。
社会は暴力によって変わるのではなく政治の力で変わるのでもない。では何によって変わるのだろうか。
おそらく小野哲平が信じているのは、一つのやきものが世界を変えられるかもしれないということである。やきものにはその力がある。
これはわたしにとっても経験から学んだことだが、心揺さぶられるやきものと出合い、そして心から美しいと思う器でちゃんとご飯を食べる、そこから変わる何かがあるのではないか。
器は土と、火と、そして人の手から生まれる。器は食の道具であり、食はわたしたちの心と身体を作るものだ。
土や火という生命のもととなるものの力が結びつき、器を作る。そうして作られた器は「食」を通じてわたしたちを支えている。

この本の取材で最後に谷相を訪れた時、工房の前に椅子を用意し、棚田を背中にインタビューを行なった。
「棚田ってどうしてこんなに美しいのだろう」途中、ふと彼がそんな言葉をもらした。
「本当に美しいよね。普遍的な美しさってこんなことを言うんだろうね」。わが子を慈しむような、あるいは母を慕う子供のような、そんな言葉の響きだった。
工房の窓から棚田が見える。そこには先人たちから受け継いだ田畑を耕す人々がいる。そして彼は食の道具である器を作る。
お金の価値ではなく、権威や名誉でなく、器を作る目的を小野哲平は生きることに求めたのだと、この本の制作が終わりに近づきわたしは思う。
そして彼はこれからもアジアへの旅や谷相で暮らす日々を自らの心の風景として蓄え、器を作り続けていくだろう。
その器を通じて、わたしたちは心のあるものを受け取り、さらには土や火という生命のもとになるものをこの手に包むことができる。
暮らしは流行ではなく、日々はスタイルではない。暮らしとは生きることなのだ。そのことを、小野哲平の器はわたしたちに今、示しているのではないだろうか。


この本の制作にあたって、小野哲平さん早川ユミさん、お二人には大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。


                                                    
二〇〇七年 早春 祥見知生


『DVDブック うつわびと小野哲平』 ラトルズ刊
 
 写真と文 祥見知生
 映像   工藤晶彦
 デザイン 亀井啓太
 2007年4月25日発売

 ※掲載した文の無断掲載は禁じます。どうぞご理解ください。

                                                                                                                                                                                                                                                                                • -