お壺に寄せて。
みなさま、こんばんわ。
大変ご無沙汰しておりました。2018年もすっかり暮れて、早くも師走が近づいてきました。
いつもうつわ祥見の展覧会、WEBSHOPをご覧いただき、ありがとうございます。
さて、今日は、かねてより準備を進めてまいりました仕事について、
この場でお伝えさせてください。
日頃、うつわとは何か、を考え続けていくなかで、
生きるために必要な食べるためのうつわ〈日々のうつわ〉を伝える一方、
朗らかな骨壺をお伝えしたいとずっと願ってきました。
死を恐れずに生きることは誰にとっても困難ですが、
何気ない日々の時間を何よりも愛し、かけがえのない生を慈しみ、
最期は笑って去っていく・・・、
そんな潔い心地で生きるために
死を向こう側に追いやらず、死を生の一部として考えたいのです。
誕生してから最期のときを迎えるまで
どんな時も人と一緒にいるのがうつわの役割です。
そこに死があるからこそ、
明日を生きていくために、力となるもの、はげましとなるものが必要です。
骨壺とは、あるときまで必要もしない(考えることもしない)ものではなく、
生きるすべての人にとって大切なうつわです。
「生きる」ことを肯定し、死を受け容れ包みぬく優しさに満ちたものです。
うつわ祥見が伝えたいお壺は、朗らかな壺です。
最期まで愛しいと思う器と、ともにありたい。
生きることを慈しむからこそ、最期に包まれる器を
納得のいくもの、信頼のできるものを選んでいただきたいと思うのです。
2013年に開催した「慈しみの器。愛しき骨壺展」で作品をご出展いただいた升たかさん、尾形アツシさんに
あらためて、このたび、お壺を作っていただきました。大きさは高さ10センチほどの小さな分骨用のお壺です。
あふたりの作風は異なりますが、眺めて、清々しい気持ちにさせてくれることは変わりありません。生を包み死も包む、おおらかで洗練された美しさがこの作品たちからは感じられるのです。
常々、うつわは、作る人の美しい心や手が作るものと思っていますが、お壺は本当にそのことが大事です。生半可な覚悟で作ることができない作品であり、日々のうつわと同様に、作り手の姿が投影されるものと思います。
これまで時間をかけて、このことは作り手と話し合ってきました。そして、今後は小野哲平さん、石田誠さん、阿南維也さん、小山乃文彦さん、吉岡萬理さん、荒川真吾さんなど、うつわ祥見の大切なお客様のために、眼差しの豊かな作り手の、確かな蓋物(お壺)をこれからもお届けしたいと考えています。もちろん大切な家族であるペットのためのお壺もお作りいたします。ご希望をお聞かせいただければ、少しお時間はいただきますが、ご相談に応じ、世界にひとつしかないお壺をお伝えできるように努めたいと思います。
蓋物(お壺)はふだんからそばに置き、自由な気持ちで接していただくことをお勧めします。
ふだんの生活で、好きなものを入れて眺めると、それは生活の一部となり、
親しい気持ちがが育ち、自然と関係が深まるものです。
人生を喜び、面白がる、朗らかな壺には、よそよそしさは不似合いです。決して二度と同じ日はない日々という時間に、うつわがともにあるように、いつかやってくる最期のときに笑って朗らかにいられるお壺について、うつわの作り手とともに真摯に考えていきたいと思います。
満面の笑顔になることを笑壺(えつぼ)といいます。
笑壺のうつわとともに、生きることをを慈しみ、朗らかに・・・。生きるためのお壺を伝えてまいります。
お問い合わせやご相談はメールで承ります。
鎌倉にお訪ねいただければ、ご相談のご予約のお時間もお取り致します。
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