TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

家族のテーブル


昨年の秋くらいからいろいろな場所で「ハナレグミ」という名を聞くことがありました。代官山のギャラリーであったり、高知の陶芸家の家であったり、神戸のギャラリーであったり・・・。何かにつけてその名前が自分に寄ってきているように感じられ、スタッフのえっちゃんにそう言うと、「ファンです。CDもたくさん持ってます。ライブに行ってます」と普段より早口で言うので、CDを借りて聴いてみることにしました。

昨年12月のことだったので、「小野セツロー 手の仕事展」の会期中に店内でかけていると、これがなかなか良いのです。訪れた方からも「あ、ハナレグミですね」とか「私もファンです。NHKトップランナーの収録に友達が行ったんですよ」とか、「最近鎌倉でも歌っていたみたい」とか、いろいろな反応がありました。

特に私が好きだなぁ、と思ったのが「家族の風景」という曲です。「どこにでもあるような家族の風景」という詩の一節です。


今、私たちの国は、他人との関わりはとうに壊れて、さらに「家族」というものが壊れかけているのではないか、と考えさせられる事件が毎日のように起きています。

そうした事件の背景に何があるのか、簡単に言い当てることはできませんが、私がいつも思うのは、彼らはこれまで何を食べて何を話していたのだろうということです。何を思い何を伝えてきたのだろう、と思います。


うつわ祥見では、2007年度、無垢な木の家具を提案している家具・住まいの会社のギャラリー・直営店で器の展覧会を開くことになりました。


北の住まい設計社は北海道の大雪山のふもとにある東川町にあります。


廃校になった山奥の小学校の工場で職人がムクな木を丁寧に家具にしています。合板を使わずにシンプルでいてぬくもりのある長く使われる家具を作り、使い捨てではなく、未来につなげる仕事をしたいという北の住まい設計社の考え方は、共感できると感じています。

昨年夏に初めて東川にある本社のショールームを訪ね、打ち合わせを重ねてきました。


ムクな木を使った家具は、使い込むうちに傷や多少の反り、小さなシミが時とともに刻み込められて味わいがでてくるものだそうです。これは使い手が日々使うことで時を経て育っていく器も同じこと。

 
「変わるものと変わらないもの」「家族のテーブル」をテーマに、「テーブルにあるもの。展」を、大阪・名古屋・北海道の各会場で行ないます。

器という食の道具は、使うほどに手に馴染み、時間というものが器の姿を変えていきます。色の深みが増したり、細かいひびに入る貫入は時間というものが器に映された姿なのではないでしょうか。

どんなにテクノロジーが進んでも、家族という単位は変わらない。「家族」はわたしたちの根っこを支えるものです。

おかずを分け合ったり、苦手なものと好きなものを兄弟で内緒で交換したり、今日あった出来事を話したり、一見何も生み出さないように見える「家族のテーブル」の時間の積み重ねが、どれだけその後の人の行く道を照らし、勇気付けていくことでしょう。

そんな愛しい時間を過ごす、家族のテーブルにあってほしいと願う器を伝える展覧会を開きたいと思います。


「テーブルにあるもの。展」については、こちらをご覧ください。
http://utsuwa-shoken.com/kikakuten/kitanosumaiosaka.htm


北の住まい設計社については ホームページ http://kitanosumaisekkeisha.com/  をご覧ください。