うつわを伝える言葉
こんにちは。
日差しが柔らかく春の空気が街を包み、かろやかな季節を迎えています。
今日は久しぶりに、この場で、「うつわを伝える言葉」について
記してみたいと思います。
うつわに言葉は要らない、と人は言うのかもしれません。
しかし、うつわを伝えることを生業としている私には、
うつわを手にして、言葉があふれてくるのです。
けれど多くの言葉と構造を必要とし、輪郭をきわめる評論を私は書けません。
それは別の方がなさる仕事です。
うつわに接し、感じた、手触りのある直感のようなことを言葉にして、伝える。それが私の仕事です。
鎌倉のギャラリーをお訪ねいただき、お目にかかった皆様に
できる限りの言葉でうつわをお伝えしています。
一方、WEBSHOPは、24時間、うつわをご覧いただける「開いた窓」です。
短くても誠実な言葉が大事です。
その子(うつわ)を目にして、手にして
ほんとうに感じたことを
言葉にします。
先日は、三重県で作陶する安永正臣さんの白磁について、紹介する言葉を書きました。
たとえば、次のように。
三重県の伊賀にて作陶する安永さんの白磁鉢です。薪窯で焼成された肌あいはまろやかな味わいがあります。盛り鉢としてちょうどよい大きさで、何を盛っても絵になります。古道具にも造詣が深い安永さんが作る器には、軽妙な間あいがあり、この鉢もどこか不思議な魅力に満ちています。重ねて焼いて残る目跡からも、純朴な良さがしみじみと伝わってきます。
あるいは、
三重県の伊賀にて作陶する安永さんの白磁鉢です。薪窯で焼成された肌あいはまろやかな味わいがあります。形はかろやかで飽きがこない愛らしさ。古道具にも造詣が深い安永さんが作る器には、軽妙な間あいがあり、ともに暮らす道具として、大きな魅力となっています。この器に往年の名優が食卓で愛しんで使っていたかのような風情が感じられるのも、安永さんの作品らしさと言えそうです。
というように。
そのうつわ自身から感じられるものを書いているので、
鉢でも、それぞれの持っているものによって、
少しずつ言葉が変わります。
書き始めて、思いもしなかった言葉が出てきたりします。
多様な表現方法に満ちた世界では、「言葉」はもう時代遅れで、
置いてきぼりのような扱いを受けていると感じることもありますが、
私は決してそのように思うことはありません。
言うなれば、インタグラムの「写真」もうつわ祥見が伝える言葉のひとつです。
WEBSHOPでご注文いただいたうつわは、丁寧に、お客様のもとにお届けいたします。
贈り物を届けるような気持ちを忘れずに
ご注文のうつわをお送りすることを心がけることを
スタッフとともに目指しています。
ここにも、言葉が必要とされる仕事があります。
考え、感じることを、包むという行為のなかに
表現することを大事にしています。
最近は海外からのお客様にうつわをお届けすることも多くなりました。
作り手の手を通じて生まれたうつわを、使い手の皆様に無事に届けることが、
わたしたちの喜びとなっています。
うつわ祥見で見初めていただいたうつわが、
皆様の健やかな日々を支えるものでありますように。
うつわを包むその梱包ひとつから、
これらの言葉が聴こえてくるような
そんな仕事を重ねていきたいと願っています。
ふだん何気なく時は過ぎていきますが、
見落としてしまいがちな日々という時間に
寄り添える本物のうつわをお届けしてまいります。
お時間の許す限り、WEBSHOPでのうつわ選びをお楽しみください。
そして、鎌倉へお越しのさいは、うつわ祥見のふたつのギャラリーへお訪ねください。
心よりお待ちしております。
祥見知生