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うつわとともに。祥見知生のブログです。

 言葉の力。ライブ受付について。


おはようございます。

活発な梅雨前線の影響で、強い雨が降っている地域が多いようですね。

鎌倉も昨夜から断続的に、強い雨が降り、深夜には、鎮まった夜の時間に、雨音が響いていました。

昨夜は、久しぶりに、寝つきが悪かったのです。

たぶん、就寝する直前に、言葉の力を感じたせいでしょう。

ふだん なかなか 行けないけれど、ずっと心は向いている西荻窪ののらぼう店主明峰牧夫さんのメッセージを読んだせいかもしれませんね。

東京で畑を守り続けている農家の方を、わたしは、牧夫さんについて 伺ったことがあります。

そのときに感じたことは、2008年に上梓した『日々の器』にくわしく載せています。

東京という「自分の暮している土地」で、同じ空の下、作られてきた土地の野菜を、牧夫さんは、毎日、畑を訪ねて、ときには自分のはさみで捥いで、その日、訪れたお客さんのために、美味しく料理して食べさせてくれています。

ファンが多いんです。皆、のらぼうの美味しさのファンだし、牧夫さん自身へのファンだと思います。きっとね、毎日、牧夫さんが丁寧に向き合っている農家の方への尊敬の気持も、ちゃんと、訪れる方に伝わっていたと思います。皆さん、美味しい料理をいただきながら、心の深さに共感し、心の栄養までいただいていたのですね。

そんなファンのひとりです、わたし自身も。

その彼が、いまの心境、そしてこれからへ向かう言葉を きのう深夜、「こんばんわ、のらぼうです」という短い言葉で深夜2時につぶやき、知らせてくれました。


ぜひ、皆さんも読んでください。

たべごと屋のらぼうからのメッセージ  → http://t.co/0jlo23I .


私自身は彼の言葉を読んで、土というかけがえのないものと向き合うこと、食べるということ、料理すること・・・

色々なことを、感じました。

また、昨日、ニュースでも多く報道され、皆さんももうご存知だと思いますが、作家の村上春樹さんのスピーチの言葉、

「核」に対しての明確な推察、作家としての意思表明。

なかなかマスコミに姿を登場しない作家の、明確な、「意思」を感じ、身震いしました。

私は、いま、言葉の力を感じています。

・・・・と、いっきに書き進めてきましたが、

ここで、わたし自身の、「言葉」について、少しだけ 「言葉化」するならば・・・・

毎日毎日、実は、わたし自身も言葉を書いています。短い言葉です。生まれては消えていくような儚い言葉です。

まるで呼吸をするように、わたしの身体から皮膚を通して、外側に「アウトプット」される言葉です。

これは、文章の構成を考えて、「書き上げていく」まとまった言葉とは違う性質の言葉です。

ほんの2行前に、「呼吸するように」という言葉が自然と出てきましたが、こういう言葉はふだん、考えていたことではないんですね。

つまり、言葉というものは、本当に面白いなぁ・・と思うのですが、

他人がどんなに使って、どんなに使い古された言葉でも、自分のなかなら、呼吸するように出てくる言葉というのが、本当に「自分の言葉」なんだと思います。

・・・ちょっと、わき道にそれましたね。

これも、「いじっていない」ライブゆえとお許しください。

・・・・さてと、なんだったでしょう。

そうです、

そう、言葉の力を感じたという段でした・・・

ここからが続きですが・・・昨夜の寝つきが悪い夜に数時間睡眠をとって、朝、家族と朝食を食べ、いつものようにコーヒーを飲み、PCの前に座って、

さて・・・と思って出てきた言葉が、次のようなことでした。

「毎朝毎朝やってくる新しい朝に、新しい言葉が、必要なんでしょう。とくだん、特別なことではなく。6.11を迎えて。素直にいま、自然に出てきた言葉・・・・。新鮮じゃなくていいんだよ、と、言葉が言っているように感じる。まるで、今日の雨のように。」

わかりにくいですね。「今日の雨のように」って?

・・・ここで、また中断。だって、思い出したのです・・・ 3月の計画停電の「日記消滅悲劇のこと」

ここまで書いてきて、変なキーを押して、言葉が消えてしまったら 大変大変・・・・と思い、

いま、ちゃんと、『下書き保存』しました。

ああ、よかった。

色々 中断のある 本日。

そして、窓の外では、さきほどよりずっと、雨が強くなってきました。

「今日の雨のように」 この比喩については、とても感覚のことなのですが、つまり、経験したことのあることを、わたしたちは実はあまりにもにとって「ぞんざい」に扱ってきたのではないかな・・と思ったんですね。

経験したことを、「はい、あれですね。はい、わかっていますよ、つまり、あれでしょ」というように、「処理」してしまっていたのではないかな、と。

経験から学ぶことは、たくさんの「当たり前」を創り出します。

そうあえて表現するならば、経験こそが、生きる知恵を積み重ねることであり、もっとも人間らしく生きるために必要な能力かもしれません。

しかし、今朝、思ったのは、

「今日の雨」は初めての「雨」だと感じる心が、やっぱり、どこかで必要なのではないか、ということでした。

当たり前すぎて困ってしまうこと、それを、どう新鮮に、さまざまなレトリックを使って、「表現するのか」「デザインするのか」そういう時代に、わたしは生きてきたように感じます。

けれどね。 震災からずっと、考えていたのは、

もう一度、わたしたち日本人は、時間をいただいたのではないかということなんです。

いい加減中年になった私が、毎日、新鮮に生きていくことは、容易いことではありません。

身体に不要に溜め込んだ脂肪のように、はびこる惰性にも、よい顔をしながら、機嫌よく生きていくために、

必要なことはなんでしょう。

・・・そのヒントが、私自身に限っては 毎日、「呼吸するように」言葉を、自然に生まれたきた言葉を発することなのではないか とそう思うのでした。

だから、雨は比喩です。あくまで、私が今朝、強く実感したのは、「言葉とは、そういうものなのではないかということなんです。つまり「新鮮に毎日、生まれては繰り返されるもの、決して古びないもの」、そして「なくてはならないもの」ということなのです。

まるで、毎日 食べることみたい。

そうして毎日生きていく「時間」を、わたしたちは震災後に「いただいた」ように感じるのです。

あなたなら、どう生きるのですか・・・と。

言葉も、食べるも、一緒なんですね。きっと。

何を選択し、何に対して、「はい」と「いいえ」を言うのか。

そんな毎日が新鮮でないわけはありません

・・・ああ、しんどいですね。ここまで、読んでくださった方、まるでマラソンの長距離ランナーのような忍耐のある方と お見受けしました。

ありがとうございます。

・・・・そして、ここからが「本題」だと書けば、さらに、皆さんの顔がいよいよ険しくなるのを感じますが・・・。

なので、ひとつだけ・・・ご案内を。

いまNEARでも、店頭で お渡ししていますが、

この夏、信州の松本で行なわれる 展覧会「TABERU」を記念して行なわれる、大貫妙子さんのライブをチラシについて。

チラシの写真は、大貫さんご自身が、秋田県でされている田んぼの田植えの苗の写真です。

そして、そこには、こんなメッセージを、手書きで書いていただきました。


深呼吸できる空気や
水と火と食料、家族と人の絆があれば
ほとんどのものは必要ないと
あらためて気づいた人も多いでしょう。

手始めにご飯を土鍋で炊いてみる
というようなことから
始めてはどうでしょう。
そういうことの出来る人が
これからは役に立つ時代がやってきます

大貫妙子


ライブは、現在放映中の「おひさま」でもロケで使われた 旧制松本高等学校の講堂で行なわれます。

国の重要文化財にも指定されている大変貴重な建物です。

大掛かりなセットも、ショーアップもありません。

ピアノ一台とギターと、そして大貫さんの歌 というシンプルな編成です。

けれど、きっと、さきほどの言葉のように、心深く響くような 音楽を、会場を訪れた皆さんとともに分かち合える。

そんな予感がいたします。

チケットは本日6月11日より発売になります。

onariNEARでもお受けします。

お気軽にお電話、店頭でお申し込みください。

メールでも結構です。

また、札幌で行なわれる 高野寛さんのライブも、本日より予約申し込みを開始します。

くわしくは、TABERU特設サイトをご覧ください。

http://taberutaberu.com

二つのライブについては、また後日、しっかりと、「言葉」を書きたいと思います。

大貫さんのホームページや、高野寛さんのホームページも ぜひ ご覧ください。 

普段の音楽に対する真摯な立場と、今回の震災以前においても、独自の立場で世界の出来事に対峙されてきた音楽家の言葉にはっとされることでしょう。

おふたりの言葉、しっかりと伝わってきます。

さて、雨はどしゃぷりになって いよいよ強くなったかと思うと、いま、この一行を書こうとしたら、ぴたりと音がやみました。

そんな一日。もう二度とない「今日」という一日。

どうぞ、こころ朗らかに、お過ごしくださいますように。


(・・・・・実は、途中で、またやってしまいました。後半のライブについて、長く文章を書いたのに、またまた「消えてしまった」のです。ショックにつき、また改めて、書きます・・・・とほほほほほ・・・です)