器、ひとつぶんの心の。
明けましておめでとうございます。
ただいま、2016年1月2日深夜0時21分です。
新しい時間、新しい空気、新しい気持ち。
短くても、少しずつ、この場で言葉を書き留めていこうと思います。
さて、昨年一年も、仕事を通じて、多くの出会いがありました。
わかりあえた、と感じられる瞬間もあり、
振り返っても、そのひとりひとりの方々に出会えたことに感謝する気持ちでいっぱいです。
器を通じて、本づくりを通じて、あるいは音楽を通じて、
人はやはり愛しいもの、といま、素直に思えます。
このごろは、人間がいつまでも手放することができない、「憎しみを超えて」いこう、という気持ちについて、
「間」(ま) というものがそれに対抗できるのではないかと考えています。
ひとりの人間が自分の時間を丁寧に暮らすことができ、満ち足りる時間を過ごすことができれば、ひとつぶんの「間」が生まれるのでは、と。
「間」は、他者とのあいだの、程よい「間柄」を生み出します。
相手を凌駕することなく、敬いながら、接することができる、その「間」が、いま、この世の中に必要なのではないかと、思います。
私にとって、器を伝えることは、かわらず、日々の愛しさと気高さを伝えていく仕事です。よい器は、人のこころのなかに、ひとつぶんの「間」を作り出すものと信じています。器のなかにある「間」とは、ここで一言で言い表すことはできるほど簡単なことではありませんが、ひとつ、言えるのは、やっぱり、よい器には「のびやかさ」があるということでしょうか。のびやかさは、正々堂々としていて、頼れるものです。
ふとしたときに感じる儚さを繋ぎとめる力を持っているものです。
のびやかであり、朗らかであり、
人を励ます力がある器をこれからも伝えていきたいと願っています。
器と一日、器と一年。
積み重ねていくすべての時が愛しく感じられてなりません。
ひとつぶんの間を、いつもこころに抱いて。
丁寧に時を重ねていきたいものです。
こころより感謝をこめて。
祥見知生