TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

  不器用と美しさと

みなさま こんばんわ。

8月に向かってひたすら走っていましたら、もうお盆のころを過ぎて、8月も半ばとなりました。

鎌倉も日中はまだ熱風のような暑さが続いていますが、夕方ともなると、海からの風が吹き、夏の終わりを感じさせる涼しさを、身体で感じるようになりました。

暑さのピークもこの数日と、今朝の天気予報では言っていましたが、さてさて、この先の残暑はほとぼとに願いたいものです。

今日は、書きたいテーマがあって、この文章を書き始めています。
色々と途中で中断が入るので、今晩中に書き終えられるかと・・・という気がしないでもないのですが、
書き進めてみます。(へんな日本語ですね、スミマセン)

書きたいテーマといっても、だいそれたことではありません。

ただ、最近、どうも気になっている 不器用と美しさについて ここで書きたくなったのです。

不器用と美しさ。

不具合な取り合わせですね。

さてさて、わたしは器を伝える仕事をし、いかなる時も「どうしたらもっと器を見ていただけるだろうか」と考えてしまうのですが、

一方で、よい器は、放っておいても必ず「伝わっていく」と信じてもいるのです。

ただどうしたも、見えない壁というのかしら、器がとても特別なもので、一般の人(この分け方、イヤですが)にとっては、器に近づこうにもなんとも敷居が高く、実際に器を目の前にして「どう触っていいのかわからない」と感じてしまう方がいることも事実なのです。
人と器の間に、横たわる「距離」があるのですね。

わたしは、なぜ、器と人が「近づく」ことができないのだろうか・・とずっと考えてきました。

去年から始めたツイッターは140字で、自分の「いま考えていること」を言葉化するのですが、
ふと、何かのスイッチがはいったときに とめどなく「器の言葉」が出てくることがあります。
「器の言葉」を伝えているときは、何かが「降りてきた」かのように、
器についての、なんというのでしょうね、やっぱり「言葉そのもの」が、生まれてくるのです。
器の言葉は、わたし自身にとっても、新鮮なひらめきであったり、普段感じていることを「コトバ化」し、伝えられる有効な伝達方法になっています。

また前置きが長くなりました。

さて、不器用と美しさ・・・でした。

器と距離を抱く人の多くは、器に対して、非日常の、高尚な美を「理解しなくてはならない」と感じていらっしゃるのではないでしょうか。

自分の生活のなかにあるものではないんですね、器というものが。 どこかで敬遠して、遠ざけていらっしゃる。

器は食べる道具であり、誰にとっても、切実な「食べる」ことを支えるものであるはずなのに。

人を寄せ付けず、完成された完璧な「美」や「芸術」「権威」を強いるもの・・・そのイメージが、器と人を遠ざけてしまったのではないでしょうか。

わたしは、人は不器用であれ、と思っています。

やや乱暴に聞こえるかもしれません。しかし、こう簡単に言ってしまいたい気分なのです。

不器用でいい、そして、もっと自然でいい・・と。

もともと、わたしたちは不器用だったのだと。

人が生きていく営みは、どこか、滑稽で、ちっともカッコよくない。

だからこそ、人が生きることは、ちょっと可笑しくて、せつなくて、いとおしいのではないかと。

血の通った人間の、不器用な、毎日に。

人間の手に包まれる器がそこにあってくれたなら、どんなにいいことでしょう。

思うとおりにならなくて、ときに他人を傷つけて、わだかまりを抱え、誰ともなく人が恋しくて、でも弱みはそうそう見せられなくて、
ぶざまに時に酔っ払い、よくできたラブストーリーに人知れず初恋を想い、小説を斜めに読み、植物のやわらかな葉にふれて心安らぎ、
人の世のちょっとした情(なさけ)に触れて心を震えさせる・・・

不器用でおせっかいで、どうしようもない、不恰好な人生。

そういう人のありようが、わたしはいいなぁ・・と思います。

人の食べる道具である器も、どこか力が抜けていて 飄々としているものがいいなぁ・・と思います。

不完全な人間の、愛するものは、どこか、ほっとする温かさが必要なのです。わたしたちにはきっと、心地よいと感じる温度があるのです。

高みに座るものではなく、人間の、この、どこかいびつな、手のひらに、包まれるもの・・・それが器(うつわ)なのだと思います。

2011年8月17日、東京電力福島第一原発は、いま、この瞬間にも、放射性物質を放出し、北海道・泊原発は再稼動を知事が容認し、
被災地では多くの皆さんがいまも不自由な暮らしをされています。

いまや、とてつもない無力感が、多くの日本人の共有している感情だと思います。

無力感。

・・・では自分にできることは何か。

皆さんと同じように、わたしも考え続けています。

不器用な美しさについて、考える日々そのものを味わって生きようと思います。それこそ、ぶざまに、しぶとく。

脱原発を目指していく過程でも、人の不器用さゆえの謙虚さを失わずに、特定の個人を責めるのではなく、自分のこととして過ちを認め、
未来に生きる人々を想いながら、決して諦めずに、光の射すほうへ、希望へ向かって歩きたいと思います。

そして、何よりも、もっと、この器という愛しきものを、愛していこうと思います。


札幌のチョロンでのTABERU展では、器を愛する皆さんにお出かけいただきました。


毎年京都からお出かけいただいているHさん、今年もお顔を見つけ、本当に嬉しかったです。
京都の名店のとびきり美味しいクッキーの詰め合わせをありがとうございます。鎌倉で少しずつ大事に味わいながらいただきました。

札幌では毎年器展に足を運んでくださる方が少なくありません。一度ではなく、初日、二日目、そして最終日にも熱心にお出かけいただた方も多く、本当にありがとうございました。



連日夜に行なわれた高野寛さんのライブも、力強い演奏と歌に、本当に励まされました。


チョロンのスタッフの皆様、本当にお世話になりました。お疲れさまでした。

また来年、札幌で。今年の反省も色々踏まえつつ、いまから皆様との再会を楽しみにしています。

ぜひ、鎌倉にも、器に会いにいらしてくださいね。 心よりお待ちしています。

さて、展覧会TABERUは北海道から信州へ。

明日はいよいよ松本へ参ります。

今回はスタッフの神田とともに、松本へ。

うつわ祥見にとって、初めての長野県内での器展です。

木工家・井藤昌志さんの主宰する ラボラトリオギャラリーにて「TABERU」展が行われます。

ぜひ、皆様、お出かけください。

8月19日〜8月29日 会期中は8月23日がお休みです。

初日19日 午前10時から、器のレクチャー会を行ないます。

日々を愛する器についてのお話会です。

11時のオープンの前に、器を実際に手に取りながら、色々な話をしたいと思います。

ぜひお気軽にご参加ください。

8月24日には、イチカワヨウスケ君のごはんの会が行なわれますが、こちらはすぐに定員になったようです。松本の野菜をイチカワ君の手によって料理する特別な一日。器とともに楽しんでいただけたらと思います。

同じく24日には、いよいよ、大貫妙子さんのTABERUライブが 松本・あがたの森で行なわれます。

ピアノに、大貫さんのアルバムではお馴染みのパネさん、そしてギターの小倉博和さん。

皆さん、ご存知だと思いますが、小倉博和さんは「山弦」。小林武史さん 櫻井和寿さんと ap bank メンバーです。大貫妙子さん松本ライブではピアノのパネさんと、小倉さんと三人で アコースティックなライブ、重要文化材の古い講堂で行なうこのうえなく贅沢な時間となります。

くわしくは、TABRRU特設サイトをご覧ください。

http://taberutaberu.com

大貫さんライブチケットは、もう残りわずかとなりました。現在 ラボラトリオにて発売中です。

お問い合わせのうえ、ぜひ、お出かけください。