TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

 記憶のなかで発酵する

おはようございます。

曇り空の鎌倉です。

ここのところ、すっきりと晴れる日が少ないですね。

寒さと暖かさをくり返して、こうして毎年、春はやってくるのでしょう。

3月1日の細野晴臣さん鎌倉ライブの余韻のまま、onariNEARで始まった「小野哲平+勝見淳平展」も本日が最終日です。

今回は、DMをいつもの二倍のサイズで作りました。 表の写真は鎌倉の写真家 大社優子さんです。



そうしないと、「小野哲平+勝見淳平」というふたりの展覧会を、まずは伝えきれないと思ったからです。

こういう展覧会ごとに「伝えるかたち」を変えていく方法は、うつわ祥見を始めてからずっと続けてきたことです。

ある決まったフォーマットに、写真を入れ変えていく方法のDMは、
一目でどこから来たDMであるかがわかりますし、
定期的なお知らせとしての安心感もありますね、
うつわ祥見も最初からその方法を取っていれば、DMのあり方も随分違ったことと思います。

うつわ祥見の作るDMは、毎回、その展覧会にあわせて、イメージを高めていくのです。

カッコばかり整ってデザイン優先ではいけません。

それが難しいところです。

「このDMを見て、行かなきゃと思ってきました」という声が、今回、とても多かったのはとても嬉しいことでした。

そして、そのDMに心動かされた皆さんが、実際に訪れて、
「来て良かった、パンと器ってどんなことだろうと思ってきたけれど、想像以上だった」という声が聞かれたことは、大変嬉しいことでした。


器にパンを置いた展示の様子です。
この様子は初日だけで、毎日届くパンも同じものはなく、展示はその都度、変わりました。

通りを歩く方が店内を見て「これはなんですか、パンなんですか」との声も聞かれるほど、インパクトのある作品。

たまたま混雑時にお預かりして棚においた取りおきの器とパン。


素焼きの器でパンを焼いたもの。パンは量り売りなので、この素焼きの器もそのままで。


この展覧会も、本日が最終日です。

毎日届いたパラダイスアレイのパンが明日からはもう届かないと思うと、とても寂しい気持ちがします。

「またふたりの展覧会をぜひ・・・」というリクエストをいただいていますが、

たぶん単純にふたりの展覧会を同じようにすることはないと思います。

それよりも、もっと、発展したかたちで、より何か伝わるかたちで・・・と。

そのイメージは頭の片隅に芽生えています。

それがいつになるのか、わからないけれど、

小野哲平さんと勝見淳平君、ふたりの出会いは、
最初に展覧会について文章を書いたように、「始まりの始まり」だと感じています。

その「始まり」がこの3月であってよかった。


小さな展覧会があとあと、何かのきっかけとなれば とても嬉しく思います。

訪れた方の心に残り、その方の時間の片隅、記憶のなかで「発酵」してくれたなら。
器を手に包んだ手の記憶、食べたパンの確かな美味しさの記憶。
ともに、「記憶」のなかで生き続けてくれたらと思います。

展覧会という、そのときしか「あらわれない」ものが、
誰かの心を揺すぶることができたなら、とても嬉しいですし、
小さな声で言うならば、それは、すでに、小さな「伝説」と言えるのかもしれません。

彼らの仕事は、そういう仕事です。

身体をぎりぎりまで使って、心をどこまでも込めた仕事です。

それを受け取って、また、わたしの日々も続いていきます。

そうして、器とともにある日々は続いていきます。

記憶のなかで、発酵の度合いを深めて、日々は、続いていくのです。