TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

ともに生きていく

7月最後の一日、そろそろ夕食の買い物をしなければと家を出て、
鎌倉の夕方の気温はそれほど高くないことに気をよくして、
車に乗らず、一つ先の駅まで歩いてみました。
約束の時間もないので、歩くスピードは速くする必要はありません。
ただ、歩きたかったから歩く。日が暮れた町のなかを。
行き過ぎる景色は見慣れたものですから、発見という発見もないのですが、
それでも、頬にあたる風の流れを感じながら、歩きますと、
なんということのない「歩く」行為が、なんて幸せなことだろうと思いました。
自分の足で歩く。歩を進めることが、うれしい。
文月の夜に、わたしはひとり、着慣れた服でサンダルの姿で、そう、実感しておりました。
変ですね。



うつわ祥見の2013年、上半期の展覧会スケジュールがすべて終了しました。

1月 祝 生誕50年 吉岡萬理展
2月 村木雄児 黒の仕事
3月 吉田直嗣 LIFE展
慈しみの器 愛しき骨壷展
巡る器 旅する器展 東京・国立新美術館地階 SFTギャラリー
4月 尾形アツシ 薪の仕事 土化粧の器展
   巡る器 旅する器展 高松・まちのシューレ
  矢尾板克則 YAOITA WORLD 展
5月 横山拓也 器、或いは旅、結論なき・・展
6月 小野哲平展
石田誠 まことのマコト展IN 札幌 札幌・Cholon
7月 巳亦敬一 硝子のうつわ展
  うつわ、手に包むもの、愛しいもの展 那須・SHOZO CAFE

 

振り返ってみましても、どの展覧会も、力のこもった器たちが集っていました。

それぞれの作り手の「いま」を皆さんとともに共有できたように思います。

お出かけいただいた皆様、本当にどうもありがとうございました。



最近、ある方のお住まいに招かれて、「器の家庭訪問」に行ってまいりました。
「器の家庭訪問?なんのことですか」という感じでありましょうが、
招いてくださったのは、うつわ祥見のオープン間もないころから、展覧会のたびに訪ねてくださった姉妹の方です。
当時は、お二人とも別々にひとり暮らしをされていたので、ひとりずつ自分の好きな器を集められていらしたのですが、
4年ほど前に、海のある歴史ある町に、ふたりで一軒家を借りて住み始められたのです。
「いつの間にか、ほとんどの器は、うつわ祥見で選んだものですよ」とうれしいことをおっしゃるので、
「一度見てみたいなぁ」とお伝えすると、「ぜひ、遊びにきてください」ということになりまして。

それから数年がたち、今回、やっと、その訪問が実現したのでした。

鎌倉から在来線の電車に揺られ、ちょっとした遠足気分です。
夏休みを先取りしているような気持ちで、うれしい胸の高鳴りを感じました。

食卓には、地元で採れた野菜のお料理がずらりと並びました。
皿も鉢も片口も、小皿も、ぐいのみも、湯呑みも、何もかも・・・。
器たちは、本当に愛されて、よい顔をしておりました。

わたしは胸がいっぱいでした。



一年ずつ季節が巡り、年を重ねていくことで、
新しい器が少しずつ増えて。
家の守り神が台所に住むように、もしかしたら、土の器はこのおふたりを見守ってきたのではないだろうか・・と、ふと思いました。

人間の幸せ、というのは、簡単に言葉にできないものですが、
確かに、その食卓にあったものは、
人が食べる、その繰り返しのなかで、人と器の親密な関係、信頼と呼んでいいものなのではないかと思いました。
それは、ひとにとっても、器にとっても、何より幸せなことだと、信じられるのです。

このことを、実は、夕方、高知の哲平さんにも電話で話したのでした。
哲平さんも、言葉少なく、頷いていらっしゃいました。

器は人の時間とともに生きていくものですね。

何気ない日常のなかに、しっかりと、息づいている。

わたしは器たちを時々、抱きしめてあげたいと思います。



いま生きていくことは、苦しい現実のなかで逃げるわけにもいかず、かといって何も変ええる力もなく、
時々、とてつもない無力感にさいなまれることがありますが、それでも、食べて、笑って、眠って、淡々と生きていきたいものですね。


明日から8月。暑い日々がまだ続きますが、どうぞお元気で。


onariNEARは常設の器たちをご覧いただけます。
そして、WEBSHOPでも、とびきりよい器をご紹介していきます。


9月の展覧会は、うつわ祥見初めての「古いやきもの」を展示いたします。
またくわしくはご案内いたします。

9月7日(土)〜9月16日(月) UTSUWA Bon Antiques 展

時を経て存在を放つうつわの美しい姿をご覧いただきます。

どうぞお楽しみに。

小野哲平展によせて 『DVDブック うつわびと小野哲平 』あとがき 掲載

生きていると、毎日、生まれてくる言葉があります。

そのとき、その瞬間の気持ち。

それは、毎日空に浮かんでは消えていく雲のように、とらえどころのない「かたち」をしていて、ひょいとつかみ、手元においておくこともできないものです。

でも、言葉が、ひとつひとつ生まれてくるのには 理由がある。

子供がお腹が空いたと泣くのも、あれは、言葉なのです。あれがほしいと駄々をこねるのも、言葉なのです。

言葉はお節介で、気ままで、ときには、誤解をされ、足をすくわれたりいたしますが、それでも大事なのは、「ほんとう」であること、心から真実であることではないか、と日々思って暮らしています。

さて、こんな書き出しになりましたが、

みなさん、お元気でいらっしゃいますか。



onariNEARでは6月22日〜30日まで高知在住の小野哲平さんの展覧会「小野哲平展」を開催いたします。

この展覧会によせて、うつわ祥見の小さな出版物「TABERUBOOKS 」では『Teppei book』を刊行することになりました。

高知県の棚田の広がる山あいに工房を構え、器をつくる小野哲平さんの工房を訪ね、撮影したのは鎌倉在住のカメラマン大社優子さん。



20ページほどの小さな冊子です。


この写真のなかで、わたし自身何度も数えきれないほどお伺いした工房のある、高知県の山あいの棚田の風景に、何か短い言葉を書こうと 試みたのですが、

どうしても、その写真に、言葉を添えることができませんでした。


もちろん、「言葉」は生まれてくるのです。しかし、その言葉を写真に載せることはできない。

しばらく、写真とにらみ合いを続けて、ここは余計な言葉を添えるのはやめよう、と思い、そうしました。


その写真は、大社さんが、棚田の朝の風景をとらえた美しいものでした。

遠くに太平洋が望める山あいの集落。雲が眼下に生まれてくるのが見えます。

わたしはその風景を何度も実際に見てきましたし、小野哲平さんはここに暮らし、毎日、この風景を目にされて、仕事を続けているのです。

小さな冊子づくりで写真の大社さんとやりとりを進めていた時間、とても短い時間でしたけれど、ふと、かつて制作した『DVDブック うつわびと 小野哲平』を手にしました。

掲載されている「あとがき」を読みました。

いまはもう手に入りにくくなった一冊です。 

2006年、強い想いだけが先行して一年間 高知の山に通い、薪窯に向かう姿を追いかけた当時のことを 思い出します。

ツイッターフェイスブックもない時代です。

この本の存在など知る人は本当に少ないですし、実際に手にされた方はごくわずかな方でありましょう。

だから・・というわけではないのですが、

「あとがきにかえて」と題したこの文章を、もう少し多くの方に読んでいただきたい、といまの私が思うのです。



小野哲平さんからは先日、メールが届きました。



「お疲れさまです。
 梱包 終わりました。
 作品数は399点。
 (この地に窯を構えて) 30回めの窯、渾身の仕事です。
 今回は、窯たき直前に窯の天井が落ちているのがわかり 
 職人さんを急きょ探して直してもらって 若い子たちに助けてもらい
 なちおのごはんに力をもらって、一仕事できました。感謝です。」 



本来、隔年で展覧会をお願いするのを、「哲平さん、いまこそ、東で、もっと展覧会をやるべきじゃありませんか」と伝えて実現する展覧会です。

震災後の日本で、言葉に真実が必要とされているように、食の道具である器に求められているものはなんでしょうか。

ぜひ、土の器に会いにいらしてください。DMの鎬の器は新作です。薪の仕事をぜひご覧ください。


小野哲平展 
2013年6月22日(土)〜6月30日(日)
初日22日 小野哲平さんが在廊します。



このあと掲載する文章のなかで、以下の一文は、当時、わたしが取材を通じて、土の器を身体で学んで言葉にしたものです。


器は土と、火と、そして人の手から生まれる。器は食の道具であり、食はわたしたちの心と身体を作るものだ。

土や火という生命のもととなるものの力が結びつき、器を作る。そうして作られた器は「食」を通じてわたしたちを支えている。

中略

・・・・・さらには土や火という生命のもとになるものをこの手に包むことができる。



少々長いと思いますが、ご一読ください。

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DVDブック うつわびと 小野哲平
あとがきにかえて


器を手にとり、その重さ、手触りを確かめる時、わたしは器を見ているようで実際は特別な何かを見つめている。特別な何かはいつも器の奥に沁みこみ、こちらをじっと見ている。

もちろんそんな感覚はどんな器にも起こるのではない。使われて水分が土に吸着し、また乾き、また使われ、人の手がちょうどよくなじんだ頃、器は出合った時よりもさらにその存在の大きさを広げている。
色やかたちを超えて迫ってくる。迫ってくるものとはなんだろうか。
今回のインタビューで、その目には見えないものについての話を掘り下げてみたいと思った。
器の技法釉薬の種類を細かに訊ねることはしていない。それよりももっと器の成り立ちのもととなる話を聞くことに時間を費やした。
話はおのずと現在にいたるまでの道のりが中心になった。
1980年代後半、日本がバブル経済に浮かれていた時代、小野哲平は苦しんでいた。
器を作りそれをお金に変えることに疑問を感じていた。「土を触り手は器を作る。けれど何のために作っているのか」。器を作る意味を探してもがいていた。
独立してまもなく彼は生まれたばかりの赤子を連れて旅に出る。
タイやインド、ネパールなどアジアの国々を旅する。民の力で国を変えようと、生きるための芸術活動をするアーティストと出会う。
そして、各国で土を触り器を作った。旅は長く8ヶ月におよんだこともある。
日本の拠点であったやきものの街・常滑で器を作ることを「日本に出稼ぎにきていると思うと楽だった」と当時を振り返り、そう語る。
しかし、彼の心の拠りどころであったアジアへの旅はこどもの成長・就学とともに思うように動けなくなる。身動きがとれなくなっていった時、彼は日本で自分の場所を作ることを決意する。
そうして巡りあえた土地には古くから残る石垣があった。石垣は人の暮らしの智恵、棚田で米を作る人々が住む美しい集落の、生きる根っこである土を支えていた。
はじめに工房を建て次に母屋を建てた。そして3年の歳月をかけて薪窯を作った。

移り住んで9年が過ぎた年、一家は頭屋(とうや)の役目を担った。
頭屋とは、集落にあるいくつかの神社で行われる祭の世話役のことを言う。
たとえば宇賀祭の神は、穀物を主宰する宇賀之御魂神を主として、土の神、火の神、風の神、水の神らを祭り、祭壇には、土や水、火、五穀、絹、綿、麻などを調え、御飯、御酒そのほかの供え物をする。
頭屋は祭主をつとめる神職のお世話をし、村人にも料理をふるまう。
祭は年に数回にわたって行われ、そのたびに頭屋の小野家は大忙しだった。
頭屋の仕事について話す時、彼はなんとも気持ちよさそうな顔をする。頭屋の役割を通じて、彼はこの地がより好きになったのだ。

本来ものづくりをする人間はあまり多くを語らないものだ。彼らは作品を作ることで自分の考えを伝えている。自分が美しいと思う尺度でものづくりをする。
そして作品を通して世の中にものを言っている。
自分が前へ前へと攻撃的に己を示すことで表現してきた時代を経て、彼はいつしか暴力では何も変えられないことを知った。
そして叙々に器にこめるものは使う人が穏やかな気持ちになってくれたらという思いに変わってきたという。
社会は暴力によって変わるのではなく政治の力で変わるのでもない。では何によって変わるのだろうか。
おそらく小野哲平が信じているのは、一つのやきものが世界を変えられるかもしれないということである。やきものにはその力がある。
これはわたしにとっても経験から学んだことだが、心揺さぶられるやきものと出合い、そして心から美しいと思う器でちゃんとご飯を食べる、そこから変わる何かがあるのではないか。
器は土と、火と、そして人の手から生まれる。器は食の道具であり、食はわたしたちの心と身体を作るものだ。
土や火という生命のもととなるものの力が結びつき、器を作る。そうして作られた器は「食」を通じてわたしたちを支えている。

この本の取材で最後に谷相を訪れた時、工房の前に椅子を用意し、棚田を背中にインタビューを行なった。
「棚田ってどうしてこんなに美しいのだろう」途中、ふと彼がそんな言葉をもらした。
「本当に美しいよね。普遍的な美しさってこんなことを言うんだろうね」。わが子を慈しむような、あるいは母を慕う子供のような、そんな言葉の響きだった。
工房の窓から棚田が見える。そこには先人たちから受け継いだ田畑を耕す人々がいる。そして彼は食の道具である器を作る。
お金の価値ではなく、権威や名誉でなく、器を作る目的を小野哲平は生きることに求めたのだと、この本の制作が終わりに近づきわたしは思う。
そして彼はこれからもアジアへの旅や谷相で暮らす日々を自らの心の風景として蓄え、器を作り続けていくだろう。
その器を通じて、わたしたちは心のあるものを受け取り、さらには土や火という生命のもとになるものをこの手に包むことができる。
暮らしは流行ではなく、日々はスタイルではない。暮らしとは生きることなのだ。そのことを、小野哲平の器はわたしたちに今、示しているのではないだろうか。


この本の制作にあたって、小野哲平さん早川ユミさん、お二人には大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。


                                                    
二〇〇七年 早春 祥見知生


『DVDブック うつわびと小野哲平』 ラトルズ刊
 
 写真と文 祥見知生
 映像   工藤晶彦
 デザイン 亀井啓太
 2007年4月25日発売

 ※掲載した文の無断掲載は禁じます。どうぞご理解ください。

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骨壺展によせて 皆様へ

皆様、お久しぶりです。

なんて「お久しぶり」なのでしょう。

大変ご無沙汰をしておりました。

本当にここに戻ってくるまでに長い時間がかかりました。

もちろん、これまでの間、変わらず仕事をしていました。

ここに書き記すことがなかった多くの時間、展覧会を通じて、あるいはそのほかの機会を通じて、

多くの皆さんと実際にお会いし、たくさんの言葉をかわしました。

その時間の積み重ねがあって、いまのわたしがあります。

いつもそのことに感謝しています。

いつも本当にどうもありがとうございます。


さて、今日は3月15日。

時計が0時を回って、日付が変わったばかりです。

本当はこの日記を再開するにあたって、皆さんにお伝えしたいことがあったのですが、
今夜はそのことを書く時間はあまりないようです。

さきほど、ツイッターにもつぶやいたのですが、

明朝出かける高知行の荷物がまだこの時間でできていないのです。

これから準備をいたします。

でも、今日のうちにこの日記を書きたい理由があり、少し急いで書き綴ってみます。

というのも、あさって初日を迎える「慈しみの器 愛しき骨壺展」について、

ホームページよりももっと多くの言葉で、この展覧会について お伝えしたいと思ったのです。


少し長くなりますが、ぜひ読んでみてください。




食べる道具である器を伝える仕事を始めてから、明日をもっと、いきいきと生きていくために、骨壷展を開きたいと、願ってきました。

なぜ骨壷なのか、の問いに答えるならば、限られた生の時間をより愛するために、
死を、受け容れ、遠ざけることなく、できるだけ朗らかにありたいと願うゆえ・・となりましょうか。

骨壷を「うつわ」として考えることは、そもそも「うつわ」とは何かを考えることと同じ延長線上にあります。

うつわとしての骨壷、それは生きて使う器とは何かを追求していくことの「地つながり」であると思っています。

わたしが伝えたい「骨壷展」のテーマは、「生と死は一体であること」を、器というものから語りかけることです。
死者のための「骨壷」から、生きて故人を偲ぶこころに寄り添い、より生きていく者の「うつわ」へ。

残された者に必要なものとして、眼を向ける相手を変えてみると、はっきりと今回の骨壷展の展覧会名に掲げた「慈しむ」という言葉の意味がさらに重層的に感じられます。

展覧会は「求められている」から行うものですが、しかしそれは「流行」の類のものではありません。

「求められている」のは未来永劫普遍的なテーマであることが必要です。

そしてどのテーマであろうと、根底には、人が明日を生きていくために、力となるもの、はげましとなるものでありたいと願っています。

骨壷は、慈しみの器です。そしてそれは「生きる」ことを最大限に肯定し、死を受け容れて、包みぬく優しさに満ちたものであってほしいと願います。

そしてこの展覧会は「骨壷の見本市」などではなく、「人の一生とはこうであってほしい」と願う気持ちを素直にあらわした自由なものであるべきだと考えます。

毎日、手に包む器があるように、自ら美しいと思う、愛しいと思う器と、ともにありたい。

生きることを慈しむからこそ、最期に包まれる器を、納得のいくもの、信頼のできるものを選びたいと願うのです。

慈しみの器。愛しさを包むもの、骨壷。

この困難な時代をともに生きている、うつわの作り手による骨壷展を開き、普遍の主題を朗らかに、作り手、使い手の多くの皆さんと、ともに考える機会になればと願います。

このたびは、ご縁をいただいた高知県五台山にある竹林寺での展示をいたします。

その後、週を変えて、鎌倉御成町の onariNEARでも 展示いたします。

onariNEAR 2013年3月24日(日)〜3月31日(月)会期中休3月26日(火)27日(水)

ぜひお出かけになり、ご覧ください。

心よりお願い申しげます。




「慈しみの器 愛しき骨壺展」

会期 2013年3月16日(土)〜3月20日(水)
会場 高知 五台山 竹林寺 高知県高知市五台山3577 
時間10時〜16時 
問い合わせ 五台山竹林寺 088-882-3085
企画 うつわ祥見 http://utsuwa-shoken.com



出展作家
石田 誠 (松山) 尾形アツシ (奈良) 小野哲平 (高知) 山野邊孝 (福島)
小山乃文彦 (常滑) 升 たか (神奈川) 森岡由利子 (和歌山)
吉岡萬理 (奈良) 矢尾板克則 (新潟) 


関連イベント/ 
2013年3月16日 「こつつぼの話」
竹林寺・海老塚和秀住職と作家・いしいしんじさんのトークイベント
16:30 スタート 参加費1000円 予約不要 
問い合わせ 五台山竹林寺 088-882-3085


巡回展 
会期
2013年3月24日(日)〜3月31日(日)    
営業時間12:00〜18:00
場所
utsuwa-shoken onari NEAR
神奈川県鎌倉市御成町5-28 TEL:0467-81-3504

 皆さまにありがとう。

こんばんわ。

7月も最終日。

もうあと数時間で、7月最後の日が終わります。

日本列島がすっぽり亜熱帯になったように、連日 猛暑が続きますね。

皆さま 体調を崩されてはいませんか。


日記を書こう書こうと思いながら、今日になってしまいました。

7月の濃厚な日々。

少し、肩の力を抜いて、日々を振り返りたいと思いながら、
この「日記」というかたちではなく、何かに書き留めたいと思う気持ちがどこかにあるのです。

できれば少し長い文章を書きたいんですね。

そして、その言葉を多くの方に見ていただきたい。

次の本ではまとめて文章を書きたいと日に日に強くなる思いがあり、きっと、その場で、
この年の7月のことを書くのだろう・・・と、そんな予感がいたします。



写真は高知のセブンディズホテルプラスのロビーで 器の同窓会に出席の皆さまと記念撮影。
うまい具合にピンボケですので ご掲載 お許しください。

遠くは札幌、福岡、新潟、千葉、神奈川から そして四国・愛媛から香川から、地元・高知から・・お出かけいただいた皆さん

本当にありがとうございました。

高知の美味しい料理と、そしてサプライズで 当日急にこの会のために 松山から来てくださった石田誠さんとの楽しい時間。

忘れえぬ時間となりました。

皆さんが大事にお持ちになった器のひとつひとつ、わたしは決して忘れないと思います。



これからも 器とともに どうか一緒にいてください。

器とともに、幸あれと願っています。

器という、人の手に包まれるものを、もっと信じていこうと思います。

日々こそまこと。

明日もよい一日でありますように・・・。

時刻はもうすぐ深夜0時を過ぎて 今年も8月ですね。

高知県立美術館で開催中の『TABERU 日々のうつわ 手に包まれる食の道具』を記念して、

8月4日には 美術館ホールにて 大貫妙子さんのライブが行われます。

心の奥まで染み入る、大貫さんの歌声を、木のホールで。

ぜひ皆さま、器の展覧会を見たあとで ゆっくりと大貫さんの音の世界に浸ってください。

大貫さんは自ら米づくりをされるなど、環境問題にもいちはやく取り組んでいる日本のトップシンガーです。

高知県では、2010年に牧野植物園でライブを行いましたが、
そのときはアコースティックな歌声に皆が聞き惚れて、拍手が鳴り止まなかったのです。
その感動をもう一度。ぜひお出かけください。


トークの聞き手は濱田亜弥さん。濱田さんはもとテレビ高知のアナウンサーでいまはフリーで活躍されています。

トークでは、大貫さんが大切にされている暮らしのまなざしをお伺いします。

なぜ、米づくりを始められたのか、素朴な疑問にも答えていただく、貴重な機会になることでしょう。


坂本龍一さんと取り組んだ『UTAU』や、ファンの方にはお馴染みのアコースティックな名曲を。

チケットは高知県立美術館ミュージアムショップ(088-866-8118)や、terzo tempo(080 6559 2013)
で取り扱い中です。

ぜひお出かけください。

 鎌倉芸術館「村田森展」を終えて 「やきものの一本道」

少し前のことです。


村田森さんの携帯に電話をかけたら
「いま、高速道路走っています。関空です。いまから韓国へ行ってきます」という声が返ってきたことがありました。

彼はたぶん運転中で「土砂降りで、前は何も見えません」と。

特徴のある少し低めの声で早口に「何も見えないんです」と叫ぶように言われたことがあります。
そのとき、わたしは、とっさに「でも森さん、その道は、やきものの一本道ですからね」と叫んだのでした。
彼は「ははは」と笑って明るく力のある声で「行ってきます」と答えたのでした。



人の行いは、当事者にとっては真剣そのものでも、傍から眺めたら、滑稽であることがよくあるものですね。



「土砂降りの関空までの高速道路をやきものの一本道」と表現し、互いに、
おそらく、分かち合ったものは、たとえ、ほかの誰に理解できなくても、
森さんとわたしのあいだでは、そのとき本当に「真実」であったろうと思います。


たぶんいまご紹介した電話のやりとりは2009年に上梓した『器、この、名もなきもの』を
書いていたあたりのエピソードなのではないかと思います。

さて、2012年7月。

鎌倉芸術館 ギャラリーにおいて「村田森展」が行われました。




美しい竹林を囲み、三室あるギャラリーの構成は、

一室めはショーケースのなかに、今回の出展の器のすべてがかわるように、
白磁、染付、粉引、三島、刷毛目、井戸、引き出し黒、焼締など、展示を行いました。



ここでは京都の工房での様子や、大壺の窯づめの様子をスライドショウで紹介。

二室めは壺の展示。

白磁、陰刻、刷毛目、焼締、灰釉。



それぞれの壺が互いの存在を確かめ合うような配置とし、「無から有へ」
壺という存在が空間に自ずと浮かび上がるような展示となりました。
この部屋では、初日、村田森さんとわたしのトークイベントが行われました。


三室目は、うつわ祥見の10周年にふさわしく、アンティーク家具で埋め尽くされた空間に、
器の世界。
森さんの今回の出展された器のすべてが、100年は時を経た本物の家具のうえに展示をされました。



3日間という限られた時間のなかで行われた展覧会でしたが、
大きな大きな意味を持つ展覧会であったことを、報告させてください。

村田森という作り手が、この一年、どれだけの想いで、この展覧会にかけていたのか。

わたしたちはあえて、細かく連絡をとりあうことはありませんでした。
けれど、わたしは信じて待っていましたし、森さんも信じて待っていることは感じてくださっていたのです。

そして、たしかに、森さんは今回の展覧会で、ひとつの仕事をやり遂げてくれました。
それは訪れてくださった皆さまのこころにしっかりと刻まれたことと思います。


遠方から、この展覧会のために、駆けつけてくださった方が多くいらっしゃいました。
この日のために時間を割いてくださった皆さまに、感謝を申しあげます。

いまわたしが思うのは、これは始まりの一点であるということです。


村田森という現代に生きる作り手の仕事の通過点であるということです。


それはなんて、素晴らしいことなのでしょう。


村田森さんはご自分で「怖いこともあった、新しい窯の温度がなかなか上がらずに、途方にくれたこともあった。
正直、怖かった。けれど、突き進むしかなかったんです。
そして、ぎりぎりまで追い込まれて、今回の仕事ができた。
自分の殻をつきやぶることができた。
使い慣れた窯をそのままにしていたら、途中で、その窯でひとつくらいできるだけ大きな壷を作って、
それでよしとしたかもしれない。
でも、その窯をつぶして、新しい窯にかけた。
逃げようにも逃げられない。
そのことが、ほんとうによかったんだと思うんです。
もう後戻りできないところに自分を追い込んで死ぬ気で仕事をしてきた。
そして最後の最後まで窯を焚き続けた。
その仕事を見て、震えて泣いてくれた人がいた。
技術ではなくて、自分の心のこととして、
壁をひとつ越えた大きな機会になったことを感謝しています」と語ってくれました。



大人が3人も入るのでは・・・という直径1メートルを超える壺を
搬入し終えたときの森さんの背中をわたしは忘れることはないでしょう。
同じように、最終日に、すべてを終えて、
トラックに再び壺が積み込まれて、
何もない空間になったときの「せつなさ」と「充足感」をずっと忘れることはないでしょう。




「あなたを誇りに思う」とわたしは臆面もなく伝えました。


またいずれ、この展覧会については文章を書くことになると思います。

まずは一週間経過してのご報告と、皆さんへのお礼をこめてこの日記を書きました。


そしていま、森さんは、新たな挑戦のために、やきものの地・韓国を旅されていることを、あわせて報告しておきますね。



村田森展 鎌倉芸術館 2012年7月7日 〜7月9日。

この3日間のために彼が挑んだ仕事は、きっと、ひとつの伝説になるのではないでしょうか。

そういう仕事を、ともに、やり終えたことを、
わたしは器を伝える人間として言いようのない幸福感を感じています。

この展覧会には多くの方の力をお借りしました。
ご協力いただいた皆さま、応援してくださった皆さまに、心より感謝申しあげます。

ありがとうございました。

なおこの展覧会で出展された器は1200点。
その全種類と、京都の工房を訪ねたドキュメントを含む写真で構成された記念の書籍を刊行いたします。

完成にむけて また 詳細はお知らせしていきます。
どうぞ楽しみにしていてください。


「やきものの一本道」は続いていきます。



祥見知生

『村田森展』によせての言葉


「7月7日はいざ鎌倉へ」。

 この合言葉とともに、皆さんに、この展覧会にぜひ足を運んでいただきたいと願ってきました。

 村田森展 鎌倉芸術館

 2012年7月7日〜7月9日までの3日間だけの展覧会です。

 この展覧会をともに作りあげて欲しい・・・と願ってきました。

 いつも言うように、一緒に「展覧会」という山を登ってください、と。

 作り手、使い手、そして伝え手。

 この三者が別別の道から、頂上を目指して歩いていく。

  頂上とは、展覧会の初日です。

  そして、そこには、きっと、多くの「想い」があらわれ、そこにしか現れない「素晴らしい何か」が待っている。

  そう信じて、「7月7日は鎌倉へ」と、くり返し皆さんにお伝えしてきました。

  その七夕が、もう、あさってと、いよいよ近づいてきました。

  今夜、京都からまもなく、村田森さん自身と、作品たちが、鎌倉に向かって出発します。

  わたしはこの展覧会に向けて書いた文章を、ここに記したいと思います。

  DMをお送りしている方にお送りした文章に少し加筆しました。

  
ごあいさつ


村田森さんは京都に生まれました。
京都には、無数の眼があります。
人の眼もそうですが、ものの眼、とでもいいましょうか。
真贋を見抜く、鋭く、厳しい眼です。
そしてそれは、人を育てる眼でもあります。

大学でやきものを学んだあと、修行時代を経て独立し、「村田製陶所」の看板を掲げ、
京都の食文化を支える器を問屋に納める仕事をはじめました。
その後、見えない何ものかに駆り立てられたように、やきものに向かい、
作り手「村田森」として作陶にはげみ、こんにちに至ります。
いま、村田森の作る器は多くの人を魅了しています。
なかでも天賦の才が見事に生かされた絵付に人々は心を奪われました。
その絵柄は身近なものを題材とした大変あたたかなものです。



絵付けは最近では仏シリーズや、紳士淑女の風刺など、
筆の味わいはいよいよ批評精神に富み、洒脱で、軽快、飄々、生き生きとした絵柄が器のうえに息づいています。

染付、白磁、粉引き、黒釉、三島・・・。作風は多岐にわたります。
ひとりの作り手が生み出す域を超え、関心が向くまま情熱的に作品は生まれてきます。

ときには導かれるような出会いが、その後の作品に影響を与えることもしばしばです。
たとえば、展覧会で九州へ出向いた折に立ち寄った唐津では、想像力を駆り立てる美しい陶片に出会い、
土の器への想いを強くします。そして思います。
唐津にやきものの土があるように、京都にも土があるはずだ」と。
そして、唐津より京都に戻った翌日から、地質の地図を手に土を探し、釉となる石を探しはじめます。


自ら掘った土を水肥し、石を除き時間をかけて「土づくり」をします。
その土で轆轤をひき、探し当てた長石を砕き、釉薬とし、
それらのオリジナルの材で器を作り、薪で焼成します。


それらの仕事は、あらゆる手軽さを排除し、本質に向かおうとするものです。
徹底的なものです。よい器を作りたい一心から、村田森という作り手は、
気の遠くなるような地道な仕事に邁進するのです。




一方、古いやきものに心を通わせ、手を動かします。
「型ひとつ取っても、なぜこんなに複雑なことをしているのだろう」
古染や、古伊万里など、古(いにしえ)の陶人がひたむきに取り組んだ仕事に敬意を払い、熱心に「写し」ます。

「写し」という仕事は、はじめから、勝負が見えている仕事と言えなくもありません。

土を探して焼くほうが楽かもしれない、と語るほど、根気がいる仕事です。
こうした「写し」の仕事を辛抱強く続けることは、目に見えぬものとの闘いであり、寄り添いでもあります。



京都を想うとき、怖さという言葉が、ときおり浮かびます。
そこに生まれ住む者は逃れられない命(めい)のもとにいて、
あらゆるこわさから逃げずに、眼をひらき、自らの足で立たなくてはなりません。

そうでなくはものつくりの真実は遠ざかるばかりです。やきものは「怖さ」と向き合う仕事です。
古いものはそこに在り、常にこちらを見ています。
それらの眼から逃げず、奮い立ち、対峙し、寄り添い、心を許す。
やきものに向かう人の背中に一本の筋を見るのはそんなときです。

村田森の器には、怖さと闘い、向き合った者が「オリジナル」に向かうときの強さを感じます。
そして、このことが肝心なのですが、そうして生まれる器はどれも大変色気があり、
チャーミングで、慣習に縛られない「明るさ」を有している。
静かで、なんとも言えない佇まいがある器のひとつひとつに、
やきものへ向かう作り手の「せずにはいられない衝動」、つまり「いま」が見事に映し出され、胸を打つのです。

今回、本展に向かうため、村田森さんは、これまで使い慣れた薪窯をつぶし、
開口部の大きな新たな薪窯を造成しました。



器の作り手にとって、使い慣れた窯を取り壊し、新たに造成することのリスクは
計り知れないものがあります。

それでも、村田森さんは、

この展覧会のために、新たな挑戦をされたのです。

じっさい、新しい窯は簡単には思うような作品が生まれることはありませんでした。

試行錯誤の日々のなか、正真正銘の「身体を使って」の仕事に取り組みました。

そして光が見えたのはごく最近のことと 森さんは振り返ります。

「あほやかから、できた」とおっしゃいます。

「どれだけしんどかったか。でも、むちゃくちゃ、おもろい」と。

古い窯を壊しての開口部の広い薪窯の造成は、もう後戻りできない状況のなかで
これ以上ない「やきものの仕事」に彼を打ち込ませたのです。

ただ、「よいやきものを焼きたい」という純粋さが、「村田森」そのものなのです。



鎌倉の地でこのたびご覧いただくのは、新たな窯で焼成した器を中心に、

白磁、染付、粉引、刷毛目、そして黒高麗、井戸、彫三島、
韓国陶磁の旅から熱心に取り組まれた大壷など、一同にご覧いただきます。

すべて「このとき」にしかあらわれない、美しいやきものの仕事です。
村田森という作り手の、すべての仕事です。


この展覧会を、どうぞ、一緒に、作り上げてください。

ともに、ここに集う「平成の世のやきもの」を観て、感じて、その眼に留めてください。
心に記憶してください。

できることなら、すべての器ファン、器の作り手に直に観て欲しいと願います。

「7月7日はいざ鎌倉へ」。

ぜひ、お出かけになり、村田森さんと話をされてください。

彼がこの展覧会のために成し遂げた仕事を、見届けてください。

ご高覧賜りますようにお願い申し上げます。

なお、このたびの展覧会は『MURATA SHIN KAMAKURA 2012』(仮題)として書籍を刊行し、
記録を残すことになりました。

発行は9月初旬を予定しています。

会場内で 販売予約を開始いたします。 何卒よろしくお願いいたします。

                              
2012年7月5日 搬入前夜に

  祥見知生   



 

高知県立美術館主催 『TABERU 日々のうつわ 手に包まれる食の道具』 が初日を迎えました。


今日は7月2日。時刻は正午となるところです。

昨夜、最終便で高知から戻ってきました。

鎌倉でふだんの朝を迎えています。

昨日、7月1日。

高知県立美術館主催 『TABERU 日々のうつわ 手に包まれる食の道具』 が初日を迎えました。

春以降、ずっと、取り組んできた仕事です。

県立の美術館で、こうした「日々の器」を紹介する展覧会を開催するのは 大変有意義なことです。

「展覧会ABERU」は、東京・国立新美術館地階ギャラリー、札幌、松本、京都、高松、長崎の各地のギャラリーで行われました。

めし碗、湯のみ、皿、鉢など、日本の食卓にかかせない日々の器を伝えてきました。

このたび、高知県立美術館で展覧会「TABERU」が開催されることになり、
器という身近な道具をより感じていただくことで「食べる」ことを見つめなおす機会になればと、展示内容を考えました。

展示は3つのコーナーにわかれています。

まず「100の時間 100の器」では、使われて育った器の美しさを。

高知県香美市にて作陶されている小野哲平さんの薪窯焼成の器を展示には「小野哲平のいま」と題し、
素朴で美しい土の器をご覧いただきます。

そのほかにも高知県の若いつくりびとの手の仕事をご紹介します。



わたしにとっても、やりがいがあると同時に、大変責任のある大切な仕事として、
この展覧会に取り組んできました。

小野哲平さんの薪窯の仕事は、今回、台風の接近で、
一度中断した影響でふだんより14時間余計に焚き上げた
渾身の仕事です。

その器たちのなかから、めし碗、湯のみ、皿、小皿、鉢、大皿・・・・と総数100点余りを
選ばさせていただきました。それらの器を「小野哲平のいま」として、展示しました。


こういうとき、哲平さんは、わたしを信じてくださっているのですね。

すべて、選者としてのわたしに任せてくださる。

哲平さんの展示する器はわたしが今回高知入りした28日に 工房を訪れた時間に、選らび終え、
その翌日、美術館へ運ばれたのでした。

初日を迎えて 今度は、しみじみと 鑑賞者として、それらの器たちをゆっくりと拝見しましたが、
なんとも言えない素晴らしい器たちが、静かに、そして力強く並んでいました。

普段のギャラリーでの展示では 味わえない、器との距離・・・それは「手に入れる入れない・・つまりは所有の欲から解放された」器との心地のよい距離がありました。

器そのものの存在を、より感じられる。

ふだん熱心に器に興味のある方にとっても、そうでない方にとっても、
それは大変貴重な、体験ではなかろうか・・・と思います。

そして、今回の展覧会で、わたしが皆さんに伝えたいと願ったのはまさに、「器を感じる」ということなのです。

「100の時間 100の器」では、使われて育った器100点を展示しました。


そのなかには、作り手の皆さん自身が実際に使っている器や、2005年に急逝された青木亮さんの器も含まれています。


今回、会場を訪れる皆さんにお配りする 配布資料に、「器を感じるということ」と題し、言葉を書きました。


少し長いですが、全文を紹介します。


 
器を感じるということ

器を見るうえで大切なのは、こころの眼で見ることです。
こころで感じ、見ることです。
やきものには、その長い歴史のなかで、時間にかけて名づけられた「名前」があります。
作り方、産地、その器が生まれた背景、技法などがその名にあたります。
やきものを知るために知識が必要と思われる方も多いと思いますが、
名を知ることばかりにこだわっていると、見落としてしまうことがあるのです。
それが、ひとつひとつの器の個性です。

本展覧会では、器の個性を感じる、という見方をしていただきたいと願っています。
器を深く感じていただけるように、あくまでシンプルに展示しています。

器は手に包まれる食の道具です。

食べて生きていく、そのくり返しの、なんでもない時間をともに生きるものです。

少し欠けた茶碗、シミができた皿もあります。

それらは作り手の手を離れ、使う人の手の包まれて育ったものです。
器は使われて「育つ」のです。時間とともに、なんともいえない味わいが出ています。
その味わいこそが、器の勲章とも言うべき「使われた時間」です。

器は、食卓のうえで、人の手のなかに包まれ時を経て、美しく育っていきます。
器とは、器のかたちをした「時間」そのものではないでしょうか。
器には、使い手の時間が降り積もります。
日々の器をこうして眺めたときに、そのことが、こころに深く響きます。

100の器には、100の時間。
名もなき人の、かえがえのない、生きた記憶。
愛しい時間がここにあるのです。

ディレクター 祥見知生 

  


100の時間 100の器」の展示において、作り手、使い手の皆さまより、大変貴重な器をお借りいたしました。

趣旨をご理解し、ご協力をいただきました皆さまに、心より感謝申し上げます。

展示室の一番奥には、高知のつくりびと と題し、5人の若い作り手の皆さんの仕事も紹介しています。

あわせて ご覧ください。


初日にいらした皆さんは、「とても一日では足りない」と、率直な言葉で、この展示の器たちについて
おっしゃっていました。

企画をしたわたし自身も、どんなに時間をかけて見つめても、飽きることがないほどなのです。



上の写真は、実際に器に触って手に包んでいただくコーナーです。



また、先日の日記でもご紹介した 

今回の展示を記念して作られた新刊『器と時』はミュージアムショップにて発売されました。

展示の器の写真を中心にオールカラーの80ページの本が出来上がりました。

大変貴重な器たちが収録されています。

何しろ、この展覧会には村上躍さん、吉岡萬理さん、森岡成好さん、村田森さん、小野哲平さん、
横山拓也さん、村木雄児さん、尾形アツシ、小山乃文彦さん、石田誠さんなどの作り手の皆さんや、
こうした現代作家の素晴らしい昨今の傑作とも言える器を展示のために協力いただいた方など、
一期一会の器たちが集ったのです。


さらに、ミュージアムショップでは、小野哲平さん、尾形アツシさんの器も実際に求めることができます。

小野哲平さんの器はこのたびの展示と同じ窯の器です。
 
 
会期ははこれから1ヶ月以上あります。8月12日まで。

ぜひ、皆さま、高知へお出かけください。

この機会をどうぞ見逃さずに、展覧会会場に足を運んでください。

きっと、心に深く、感じていただけると思います。

食べることは生きること。器は食べる道具。

器は生きるための道具です。

本展を通じて、大変身近な、そして生きる要である「食べること」を見つめていただければと思います。

原発の再稼働で揺れる日本で、信じられるものは何か。

わたしは「食べる」ことが、これからのすべてのものごとの中心であるべきだと信じています。

「食べる」をもっとまなんかに。「生きる」をもっと確かなものに。

諦めることなく、そのことを、わたしは「器」を通じて 伝えていきたいと思います。



「TABERU 日々のうつわ、手に包まれる食の道具たち」

日時 2012年7月1日(日)〜8月12日(日) 

      午前9時より午後5時まで(入場は午後4時30分)

会場 高知県立美術館1階第4展示室

    〒781-8123高知市高須353-2 TEL088-866-8000/FAX088-866-8008

主催 高知県立美術館  ディレクション 祥見知生(うつわ祥見)

後援:高知県教育委員会 /高知市教育委員会/高知新聞社/RKC高知放送/

NHK高知放送局/KUTVテレビ高知/KSSさんさんテレビ/KCB高知ケーブルテレビ/

エフエム高知/高知シティFM放送

関連イベントとして、「器を感じるワークショップ」や「大貫妙子さんライブ」などが行われます。

くわしくは、高知県立美術館のホームページをご覧ください。

http://kochi-bunkazaidan.or.jp/~museum/contents/exhibition/collection/2012/2012taberu.html