明石・風来で「村田森展」が始まりました。
先週末 明石へ行ってきました。
ギャラリー風来で行われる「森という名のうつわびと 村田森展」の搬入日。
展覧会前日だというのに、たくさんの方々がお店にいらっしゃいる・・・そして、「明日朝にまた来ます」とお帰りになられる。
風来のオーナー 富森さんのお人柄なのでしょう、ギャラリーと訪れる方との「気持ちのよい関係」を感じました。
さて、森さんの器です。
うつわ祥見での展覧会からほぼ1週間で よくぞ 作ってくださったものです。
灰釉の器、三島皿など、薪窯焼成による新作の器を見ることができました。
一枚の小皿を手にとり、心が熱くなります。
日ごろ、わたしは口を開けば「よい器、よいめし碗を」と作り手の皆さんと話しています。
ですが、「よい器、よいめし碗」というのは、具体的に言葉にして語れるものではありません。
それは、心のなかで、言葉になる以前の「思い」のようなもので、色や形、そういうわかりやすい言葉で語れるものではないのです。
しかし、「よい器」というものは、確かにあるのです。
そういう器に出合いたいと、わたしは、いつも展覧会を開きます。
たった一枚、たった一つの器に出合いたい、という思いに突き動かされている と言ってもいいかもしれません。
搬入が終わって、風来の皆さんや森さんと食事へ行き、その帰りにもう一度 ギャラリーに戻り、
森さんと二人で外からウインドウの中の店内を見ていたとき、
彼が「自分が作りたいと思う器にほんの少し近づいた気がするんです」と言われました。
その言葉を聞いていて、ふと、『うつわ日和。』の青木亮さんの章で「近づいたかと思えば遠ざかる。やきものとはそういうものかもしれない」と書いたことを思い出しました。
森さんは厳しい仕事をしています。
そして、やきものを志す一人の人間として、嘘のない顔を、しています。
翌日の初日、開店と同時に、たくさんの方々でお店はいっぱいになりました。
わたしは自身のために、めし碗と皿を求めました。
その器たちは会期終了まで預かっていただくので いま 手元にはありません。
しかし、あの器たちと「出合えたこと」が、心を言いようのない幸福で包んでくれているのです。
(せめて会場風景の写真をご紹介できたらよかったのです・・・が、心がいっぱいで そういう記念の写真すら撮らずに帰ってきてしまいました。まったく持って気が利かないですね。スミマセン。)
村田森展 明石・ギャラリー風来
2009年2月7日〜14日まで。
(DMには13日までとありますが、14日まで器をご覧いただけます)
くわしくは 明石 風来のホームページをご覧ください。http://fuuki.cocolog-nifty.com/blog/
関西の皆様、ぜひ 明石へお出かけください。