矢尾板克則 小屋展
9月4日。うつわ祥見の後期展覧会がスタートしました。
矢尾板克則さんの小屋展が始まりました。
今はこの文章を、初日を終えた夜中に書いています。
展覧会はその始まり方がぞれれぞれ違います。
小屋展の初日は静かな朝でした。
うつわ祥見の空間にしっくりと馴染んだ「小屋」の作品たちが、「静か」にいる・・・という雰囲気です。
その小屋たちはどんなに眺めても飽きることがありません。
どの小屋も、それぞれに「ものがたり」を抱えているように・・・つまり、まるで生きて息づいているように いきいきとしています。
微妙な色合い、ニュアンスのあるかたち、これはまさしくヤオイタワールドなのですね。
今日一日、ずっと、小屋の置いてあるテーブルのまわりをまわって、色々な角度から小屋を見ていましたが、
どんどん どの作品もが「見えてくる」のです。そのよさが響いてくるというのでしょうか。
小屋は愛すべき存在です。それは器と同じように、時を経てますます存在感を増していく・・・
その姿がこころに響くのですね。
いま世の中は不況の嵐のなかにいて、便利でお手軽で、取替えのきく安価のものが受け入れられています。
大量消費社会はいっこうにスピードを緩めることはありません。
役に立つもの、便利なものは、どんどん加速度を増して 開発されて、モノがあふれかえっています。
そういうふうに言えば、小屋は何かの役に立つものではないかもしれません。
その「役に立つものではないこと」が、この作品の大きな魅力の一つなのではないか・・・と。そう思います。
役に立つか立たないか・・を検証すれば、
実は小屋は、人のこころの役には立っているのです。
2年前に「小屋」を選ばれた方が、今日初日にも、また新しい出会いを求めていらっしゃいました。
愛しそうに、丁寧に選び、またふただひの小屋を、選ばれていきました。
今回の「小屋展」のDMがきっかけとなり、初めてうつわ祥見を訪れた方は、時間をかけて一つひとつの小屋を眺めて満足して帰られました。
初日を過ごして、うつわ祥見で開く矢尾板さんの小屋展は・・・ うまく言えないけれど、特別な思い入れがあることを改めて思います。
さっきも書きましたけれど、
効率やお金の価値や、役に立つかどうかのことで モノがあふれている世間に対して、
静かだけれど内側にしっかりと思いがある展覧会を行うことがギャラリーにとっては大切なことだと、改めて思います。
そう思うと、何か、力がみなぎる感じがします・・・
一言で言うと
「展覧会っていいなぁ」ということになるのですけれど。
時間をかけて「展覧会」を作り上げていくことが、わたしの仕事のすべての基本です。
明日は矢尾板さんが在廊します。
夕方からは小屋ともに過ごす小さなイベントがあります。
小屋を眺めながら、冷えたワインなど 楽しみたいと思います。
9月10日までの会期中は毎日、わたしは小屋とともにいます。
ぜひ、矢尾板克則さんの小屋をご覧ください。
お出かけください。