TOMOO SHOKEN

うつわとともに 祥見知生

阿南維也 青文様展  

 

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onariNEARで開催された阿南維也さんの初個展 青 文様展が終了いたしました。

この個展について、阿南さんの今回の作品がなぜ素晴らしいのかを最終日に連続ツィートいたしました。この場に、阿南さんとの会話を加筆して、記します。

昨年のことでしょうか。大分の阿南さんの工房へ初めて訪ねました。ちょうど東京の個展に作品を送ったところで、ほとんど工房には何も残っておりません。せっかくお訪ねしたのに、器を目の前にしてお話することができず残念に思いました。

しかし、その後に、とても不思議なことが起こったのです。


不思議な偶然と言いますか、ふとした一言での巡り合わせと言いますか・・。阿南さんの鎬(しのぎ)の仕事はなぜこんなにも誠実なのか、この線は最後までやり抜こうとする根気と、この作業が好きな人の手によるものですね、と伝えたら、彼は過去の修業時代に繰り返し描いていた文様のことを話されたのです。

それが染付の青海波の文様でした。そしてただ一枚残っていた過去に描いた小さな皿を見せてくれました。それは阿南家の台所か洗面所、他人の目に止まらない場所でひっそりと使われていたものです。その器自身、家族以外の人の手に包まれることなど、その瞬間まで想像していなかったことでしょう。

その器は経年のためか、染付の色はくすんでいましたが一目見て、素晴らしい仕事であることがわかりました。ともすれば神経質に感じてしまう連続文様が人間味にあふれて、温かいのです。その一枚を通じて話した時のやり取りが、阿南さんとの本当の意味の、出合いの時間だったように思います。

本当はこの仕事をされたいのではありませんか、と私は訊ねました。

その時の表情を、正直、しっかりと覚えているわけではありませんが、迷うことなく、「やりたいと思います」と彼は答えられたように思います。

阿南さんに個展をお願いしようと考えていた私は「阿南さん、この仕事をうつわ祥見で発表してくださいませんか」と提案し、今回の展覧会が実現したのです。

 

個展の搬入を終えた夜のこと、阿南さんは晴れやかな顔をされていました。

お話を伺いしました。

 

「僕の陶芸人生で二度目の転機になったと思います。

最初の転機はポンペイに行った時、遺跡を見て、帰ってきてから白磁がガラリと変わったんです。

知り合いの絵描きのおじさんが、お前、海外へ行ってこいと言われて訪ねた旅でした。

子供の頃から好きだったものとか、なんで好きなのか、わかったのです。雷に打たれたような衝撃を受けたのです。降り立った瞬間、一秒くらいでわかったような感じでした。

錆びた感じとか、壊れかけているようなものが好きだったんですね。鉄くずを集めたり。小学校の自由研究は古道具を集めたファイルだったりした。

本物を見て、どうしてそういうものに手を伸ばしたり、憧れたり、木くずとか鉄くずとか、時間が経って古びたものに手が伸びいていたのか、それがわかったのです。誤解を恐れずに言えば、それはきっと、多分、死への憧れなのでしょう。

今みたいにきっちりと作り出したのはそれからです。

青海波を描いている時は、頭の中は様々なことを考えて動いている感じです。手を動かしながら活発に考えている感じ。ご先祖さまのこととか、自分はどこから来たのだろう・・・とか、妄想ですね・・・」

描きだしていつ終わるんだろうというのは全くなくて、一枚の皿に2時間、3時間、8時間かけても、その時間は苦ではなかったそうです。

作家として初めて取り組み、10年ぶりに絵筆をとった瞬間は怖くなかったですか?との質問には、

「全く怖くなかったです。身体が覚えていたのでしょう、一筆めで大丈夫と思いました」との答え。寝る間を惜しんで描き続けた青海波。この個展にすべてを出しきり悔いはなし、とおっしゃいます。

 

作家が自身の湧き上がるものから向かう仕事には、何か言葉では表現しがたいエネルギーが作用するものです。その動機が純粋であればあるほど、素晴らしい仕事に結びつくものであることを改めて感じさせてくれました。

「作りたい」という熱情に勝るものは他にないのです。


かつて、村田森さんが京都の土を自ら掘り石を求め釉薬とし、初めて土物の器に取りくみ発表された個展の時のことを思い出します。当時ギャラリーとして信じて待つことしかできませんでしたが、その仕事の熱量は凄まじいものでした。
このことは『器、この、名もなきもの』に詳しく書きました。

そして今回の阿南維也さんの青海波の仕事は、白磁の器にも良い影響をもたらしたのです。文様を集中して描いている途中に「作りたくなって作った」という無地の白磁の器の色っぽいこと。何気なくて何でもなくて、非常に奥行きのある美しい白磁でした。その色気というのは創作として作れるものではなく、本来の阿南さん自身の色っぽさなのではないかと想像します。青文様を描きながら精神の高ぶりや、あるいは静かに躍動の時を迎えた時の作品が生まれたということなのでしょう。


作家として初めて発表された青海波、そしてその仕事のなかで自然と生まれた白磁の仕事。どれも「誠に」自身に向かわれた仕事でありました。よく応えて下さったと心より感謝しています。素晴らしい展覧会となりました。

 

道行く方々が初めて手にされ、その仕事に魅了され、お求めになられる方が多い展覧会でありました。

それはまさに、人を説得する仕事を阿南さんがなされたということの証だと思います。

 

真の展覧会とは山のようなもの、と思います。

作り手は作品をつくる準備をして山を登ります。足元を確かめながら山頂を目指し登り続けていきます。高い頂を目指せば山頂に登り見える景色も変わります。達成し、そして、そこから下山するのではなく、また新たな山を登り続けていくのが真の作家です。そういう作り手の仕事を私は心より尊敬します。お分かりのことと思いますが、作家にとって、作風を次々に開拓していくことは目的ではありません。トピックのように派手に目に見えるものではないので、わかりづらいかもしれませんが、作家は常に作品を通じて自身を掘り下げ内なる山に向かっているものです。

 

2016年10月、阿南維也 青文様展、

記憶に残り、そしてきっと次につながる素晴らしい展覧会でありました。

心より感謝いたします。

 

祥見知生