器熱。
こんばんわ。
今日は一日どんな日でしたか。
わたしはNEARにいて 午前中は佐賀県からいらした若い作り手の方と会ったり、
午後は取材の撮影や、訪ねてくださった皆さんと器の話をたくさんして過ごしました。
平日にもかかわらず、NEARはずっとにぎわっていて、
静かな時間があったら仕上げてしまおうと思っていた文章を書く仕事も進まないほど忙しくしていました。
「器の同窓会」に出席してくださった皆さんからお手紙が届いています。
そのなかにとても嬉しい言葉がありましたので 紹介させてください。
「・・・一番嬉しかったのは、自分が器を買った単なる消費者ではなく、
器の使い手なのだ、ということを実感できたことです
・・・・(中略) 会に出席して、自分も器の大きな物語の一部を担っていると感じられ
とても豊かな心持ちになりました」
この、言葉、本当に実感をともなう生きた言葉ですね。
「消費者ではなく、使い手なのだ」 ということを実感されたTさんの言葉が嬉しいのです。
作り手がいて、使う人がいて、初めて「器」です。
当たり前のように思えるこの「器とは何か」ということを、言葉ではなく、器を通じて感じていただく。
それが、わたしの願いです。
器は眺めるものではなく、日々の「生活」にしっかりと息づくものです。
手に包み、慈しみ、食べることを愛する道具です。
「・・・・どうか、これからも、変わることなく、
器の伝導師(伝導のほうがしっくりくるような・・・器熱がじんわり伝わっていく感じが)として未知なる器を伝え続けてください・・・」とTさん。
ありがとうございます。
最近どこかからか「器の伝道師」とか「カリスマ伝道師」(これは村田森さんが言っていたのかな・・・)などと言われることが多く、
うーん・・・と思っていたのですが・・・(伝道師というのはまだ活動が足りない。まだまだです)
器の伝道師ではなく、伝導師・・・、確かに熱を伝えている気がします・・・。
今日もNEARに一人でいらした男性に「この器をそばに置くと気分がいいですから」と言い切ったような・・・
スタッフの神田に言わせると「言い切れるのはショウケンさんだけです」とのこと・・・確かにそうかもしれません・・・でも、それも本当に思っているから
言い切れるんですけどね。
また別の出席者の方からのお手紙では
「毎日使う器ですが、これ以上は必要ないかなぁ・・贅沢かな・・と思いながらも心惹かれる・・これは「病」だったんですね」という手紙も届きました。
ありがとうございます。
「器の収集家ではなく器を愛する人が集まるのは、何より揺るぎのない器に対する情熱と、たおやかで凛とした、そして実はおちゃめなショウケンさんのお人柄・・・」と書いてくださっていて、思わず笑ってしまいました。
やんちゃ坊主というか、おてんばな、「おちゃめ」ともいうのでしょうか・・わたしの性格を 見破られていました。
それにしましても、いただいたお手紙を拝読し、器の同窓会に出席してくださった皆さんの心の豊かさをあらためて感じます。
同窓会の時間を いまも思い出し 満たされる気持ちがします。
まだまだ書ききれないですし、
「ところでショウケンさんはどんな器で出席したのですか?」とも訊かれますと、
そうでした、その器たちのことも書かねば・・と思いますし、
まだまだ器の同窓会の話は続きます。
「器熱」の熱気にあふれる「うつわ祥見」の活動に これからもお付き合いいただきたいと思います。
そして、ひとつお知らせが、
器をもっと身近に感じていただくために、
皆さんの器への質問、悩みをお聞きしてお答えする「明るい器の悩み相談室」を期間限定でうつわ祥見のホームページで開くことになりました。
近日UPしますのでお楽しみに。第一回目の相談者の方の質問、素晴らしいですよ。
皆さんも明るい悩みがありましたらお寄せください。
では今日はこのへんで。
6月の美しい季節。明日も、器とともに、こころ豊かな日にいたしましょう。