なんでもない日々、「日常」を取り戻す力に
こんにちは。
しばらく日記を書かずにいるうちに、すっかり世界は変わってしまいました。
東北関東大震災の被害の悲惨さ、現在も続く福島原発の深刻な事態に、心休まる時がありません。
被災された皆様に、心よりお見舞いを申し上げます。
わたの住む鎌倉は、東京電力の計画停電がほぼ毎日実施され、その予定時間には湘南モノレールや江ノ電などは止まってしまうので、常に先先を見越したり、パソコンを使う仕事の時間を考えたり・・・何かと不便な生活を送っています。
しかし、計画停電も「なんのその」です。
あらかじめ決まった停電のために、あれこれと頭を使い体を動かしているので、まったく、支障ありません。きちんと動く体を持っているからこそ・・と思い、ふだんより 食欲が増し、しっかり食べている毎日、器とも、いつも以上に親密な時間を持っているのでは・・・と思われます。
先日、この日記も、計画停電が20時すぎまで行なわれた時間帯に、モバイルPCを蝋燭の灯りの下で立ち上げ、あと少しというところまで書いたのですが、最後の最後に、へんなキーを押してしまったのでしょう・・・すべて消えてしまい、本当にわが身の「おっちょこちょい」を恨みました。
この日記を、地球の裏側に住んでいる方も 読んでくださっている事を知り、なんとか「無事です」と一言書けたらよかったのですが・・国の重大事に、色々なことが浮かんできて、あれもこれも伝えたい、と思うにつけ、それから数日たっても書き進めることができませんでした。
しかし、一つだけ。
また無用なボタンを押して 文章が消えてしまわないうちに、お伝えしたいことがあります。
今回の震災が多くの方の「日常」を奪いました。
被災された多くの皆さんの苦難は、想像してもしきれないほど、甚大です。
福島原発の深刻な事故は、今後、まだ終焉までは時間を要し、土地を奪われてた人々の救済、そして首都圏に住むわれらにとっても、大気にただよう放射能物質の恐怖、内部被爆、水の汚染、実際の健康被害は計り知れないと思われます。
まるで悪夢を見ているようです。
しかし、わたしたちは、現実を受け容れ、生きていかねばなりません。
うつわ祥見では、これまでも、器は食べる道具である、その一点を信じ、器を伝えてきました。
「食べることは生きること」
こんなに当たり前の事はありません。
しかし、この当たり前のことが、当たり前すぎて、軽視されてきたのも事実ではないでしょうか。
効率ばかりを追求した果ての安全性の軽視、恐ろしくなるほどの添加物漬け、無理な輸送エネルギー・・・人間の欲望のままに流通される食べ物には、こんにち、多くの問題が見られます。
先日も、待ち合わせ(考えてみたら地震当日でした)の時間に遅れそうだったので、駅の売店で久しぶりに市販のおにぎりを買って食べたのですが、その裏面のシールをまじまじと見たばかりでした。
どうして「梅干しのおにぎり」に、これほどまでに「添加物」のオンパレードが? ・・・・
それは、まったくのところ、異様な記載でした。本当に驚きました。
私たちは、いつから、欲望を加速させ、「便利」で「快適」な「偽りの暮らし」を手にしてしまったのでしょう。
首都圏に住むわたしたちは、自分たちの欲望のための、必要最低限な電力以上の『電力』を、原子力発電によって生まれた『電力』を、好きなように使い呆けていたのですね。
改めて、そのことに、気付かされました。
わたしは日ごろから、自分に、問うてきました。
器は贅沢品か、必需品か・・と。
地震の日、新宿のビル街にいて、当夜帰宅難民となり、家族とばらばらに夜を過ごした翌日、再会して初めての、慎ましやかな食事のために、器を食卓に並べて思いました。
「器は土でできている」
「この土でできた器と、しっかりと生きていくんだ」
わたしたちがつながりを求め、常に、還りたい場所として、安心できるのは「土」のある暮らしなのだ・・ということ。
これまでも繰り返し、そう言い続けてきました。
拙著にも何度も、その言葉を書いてきました。
今回の震災は、その事を、改めてはっきりと感じさせてくれたように思います。
器が土から生まれた事を実感し、土から生まれた器から、そのとき確かに、私は励まされたのです。
作家ものの器はある角度から見たら、確かに、贅沢な品物であるかもしれません。
しかし、私たち一人一人の人間が、その器を手に包み、「食べる」ことで「生きていく」ために、器はどうしても必要なものなのです。
器は誰にとっても必要な、食の道具なのです。
器に心を許し、慈しみ、心を強く持って生きていく・・そんな生き方があっていい・・。
誰もが安心して暮らし、かけがえのない時間を生きる「日常」。その尊さは、どんな暴力にも、どんな国の政策にも、犯されてはいけないのです。
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昨年からずっと準備を進めてきた展覧会「TABERU」は地震の影響で、開催が一週間延びました。
新しい会期は、2011年3月23日(火)〜5月9日(月)です。
この展覧会「TABERU」は、器が食べる道具であることをしっかりと伝え、
器から手から感じられることがあると信じ、
この変わらぬ二つの手のひらで器を包み、土を感じていただくことで、
日々繰り返される「食べる」ことをもう一度立ち止まって考えたい・・という思いから企画しました。
小野哲平さんは今年初めての薪窯の器、
尾形アツシさんはヒビ粉引き等を焼成した薪窯の器
石田誠さんは3年半ぶりの南蛮焼締の器や、紅手毛の器
村田森さんは土ものに挑戦された薪窯の器
をそれぞれ出展されます。
174点の碗、125点の皿、118点の鉢、64点の湯呑み・そば猪口など、総数600点の器が届きました。「食べる」に想いをこめて開催します。
器たちはすでに国立新美術館に到着し、地階SFTギャラリーのスタッフの皆さんによって、すでに検品が済みました。
一つも割れることなく、無事に届き、まさに初日を迎えるのを待っています。
わたしは、この非常事態に、この「食べる」を伝える展覧会「TABERU」を開くことができる意味を、しみじみと感じています。
出展の作り手の皆さんとも相談し、この展覧会の収益の一部を、震災への義援金として寄付をさせていただきます。
皆様、どうぞ、会場に足を運んでください。
そして、一つひとつの器が「来た道」を感じ、土から生まれた器たちを手に包み、ご覧ください。
「この器と生きていく」心からそう思える器との出会いが、生まれますように。
国立新美術館へのアクセスなど、地図などは下記をご覧ください。
http://www.utsuwa-shoken.com/event%20TABERU.html
また、うつわ祥見の常設の空間 onariNEARでは、吉田直嗣「LIFE BACE 白と黒 展」が始まります。
実兄のヨシダカツユキさんと初めて行なう展覧会。
兄のカツユキさんがシャツを出展されます。
NEARで初めての「器とシャツ」の展覧会です。
彼らの言葉を紹介します。
生命・生活の根底に響くような服や器。
表層ではなく、もっと深いところで必要とされるもの。
それらは、着ている・使っている人の何かを変えるものだと、
僕らは信じています。
この展覧会の骨子の言葉は、今この非常時に、さらに深く響きます。
もともと、吉田直嗣さんがいつも着ていらっしゃるシャツが本当に素敵で、気になっていたのです。
カツユキさんのブランドは、メンズものなのですが、今回は特別にレディースも展示されてます。
こちらも大変楽しみです。
吉田直嗣「LIFE BACE 白と黒 展」
2011年3月24日(木)〜4月4日(月)
定休日 29日火曜日
また、東京・馬喰町で開催中の「そば猪口と小皿展」は4月2日まで開催しています。
地震の計画停電の影響で、ギャラリーの営業日・時間にも変更がある場合があります。
馬喰町ART+EATへ直接お問い合わせいただくか、NEARへお電話いただければと思います。
「うつわ祥見の器は強いですね・・・何一つ割れていません」
「器たちは無事でした」
そんな嬉しい言葉が皆さんから届いています。
地震直後には、皆様から「NEARの器たちは大丈夫ですか?」とメールをいただきました。
NEARも、うつわ祥見も、馬喰町ART+EATの器たちも、何一つ割れることがありませんでした。
ご心配をいただいいた皆様の、お心遣いに、こころより感謝申し上げます。
ありがとうございました。
落ち着きましたら、また、皆さんと、笑って、器の話ができますように。
器と一日、また一日。
なんでもない日々、「日常」を取り戻したい。
微力でも、一歩一歩・・・歩き続けることで、
被災地の皆様にも、明るい希望を届けられるように・・
今できることを、精一杯 努めていきたいと考えています。
「器ができること」を信じて、展覧会を行っていきます。
何卒宜しくお願いいたします。
2011.3.20
祥見知生